スガモプリズンで叶わなかった面会「ストップ!」とMPに阻まれ カービン銃をつきつけられた男性~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#73
塀の向こう側にいるのに会えない
(武田剛さんの話) 「スガモプリズンに2,3歩入ったら、『ストップ』って言われて、カービン銃で押し返されたんですよ。それでどうしても会えんで。この塀の向こう側におるのに、会わしてくれたらよかのに会えんで。情けのうて、わんわん泣いたんですよ。背中に助命嘆願の村中の署名簿を担いで行ったんですけど」 武田さんは、「忠邦さーん、忠邦さーん、武田のこうです。忠邦さーん」と壁を叩いて、幾度も叫んだという。翌日、GHQへも足を運んだが、とても近寄れる雰囲気ではなく、誇らしげに闊歩する米軍将校たちの姿に、「ああ戦争に負けたんだ」と気落ちしたそうだ。 すし詰めの列車に四十時間ゆられて木立村に帰り着き、青年団に「折角の署名簿も役に立つかわからない」と報告したら、二百人近い団員が皆じっとうつむいて、誰一人質問をする人もなかったという。 〈写真:スガモプリズン〉
いくばくの我の余命か
(「成迫忠邦さんの思い出」武田剛) 成迫さんに「面会に行きましたが会うことが出来ませんでした」と手紙を書いたら、すぐ返事が来て、わざわざ来てくれたことを感謝する言葉のおわりに次のような歌が添えられていた。 いくばくの我の余命か今日も又 母の写真を取り出して見し この歌に胸を突かれるような想いがしたあとすぐの、四月の初めに村に激震が走った。四月七日に忠邦さんが処刑されたという。呆然として、お悔やみに伺った。星の見えぬ暗い夜、成迫家はあかあかと灯がついていた。沢山の弔問の人は皆おこったような顔をしてあまりものを言わなかった。 〈写真:写真を見る武田さん〉
忠邦は春雨に濡れて行った
成迫に刑場まで寄り添った田嶋隆純教誨師から、家族には最期の様子が伝えられていた。武田さんは成迫が言い残した言葉を聞いた。 (「成迫忠邦さんの思い出」武田剛) 遺骨の前にお母さんが打ち伏していた。忠邦さんは「忠邦は春雨に濡れて行ったとみんなに伝えてください」と最後の言葉を言い残し、刑場に入ったという。私は歯がみするように悔しかった。 〈写真:「祈り」巣鴨版画集より〉 武田さんは、アメリカの国立公文書館に残されている、死刑宣告を受ける成迫の写真を手に、目を伏せて、つぶやいた。 「美男子で優しい人やったんや。ああ、なんと、なんとも、戦争ちゃむごい」 (エピソード74に続く) *本エピソードは第73話です。