【書評】正しさとはいったい何か:桐野夏生著『燕は戻ってこない』
ラストシーンをどう受け止めるか
主婦4人と殺人をテーマにした『OUT』、女性の中に渦巻く様々な感情を扱った『グロテスク』など、桐野作品には女性を真ん中に据えた、生々しく骨太な物語が多い。 小説なのにまるで自分のことが描かれているようなリアリティがあるのは、登場人物の誰もが負の側面を持っていて、まるで呼応するように、読者もまた自分の中にある本音や負の感情に気が付かされてしまうから。それが桐野作品の“怖さ”でもある。よそ行きにきれいごとで塗り固めようとしても、グイグイとその衣装を引き剥がされてしまうのだ。 本書でもそれは同じだ。今回は、ある年齢以上の女性ならおそらく誰でも考えたことがある、結婚や妊娠、出産に対する自分の価値観や葛藤、さらには富に対する本質的な憧れや、貧困から逃れたいという必死さ、愛されたいと願う哀しさなど、生々しく複雑な感情が、登場する女性たちの言葉に巧妙に散りばめられ、まるで鏡のように、読者自身を照らし返してくる。 代理母を引き受けたリキの物語は、彼女が双子を妊娠したことで、さらに大きく変化していく。それは、ここまで無意識に受け身で生きてきたリキ自身の覚醒のプロセスともいえるのだが、小さな小さな男の子と女の子の母となった彼女は、草桶夫妻と交わした代理母の契約書を前に、どう行動したのか。 それが物語のクライマックスであり、タイトルを象徴する場面にもなっている。 リキの決断に快哉を叫ぶ人もいれば、怒りを感じる人もいるだろう。涙する人もいるかもしれない。100人の読者がいれば、100通りの感想が飛び出すような気がする。数年後に読み返したら、また、まったく異なる感情を抱きそうだ。 自分がリキなら、どうするのか──。その答えを知ることは、自分の人生そのものを見せつけられること。ちょっと怖くもあるが、ぜひ覚悟を持ってこの極上の小説を楽しんでほしい。
【Profile】
幸脇 啓子 編集者。東京大学文学部卒業後、文藝春秋で『Sports Graphic Number』などを経て、『文藝春秋』で編集次長を務める。2017年、独立。スポーツや文化、経済の取材を重ね、ノンフィクション作品に魅了される。22年春より、長野県軽井沢町在住