ペリリュー島に日本兵1000人埋葬地、8日から遺骨収集へ…終戦78年の昨年に密林で発見
厚生労働省によると、海外(沖縄、硫黄島を含む)で戦没した日本人は240万人で、今年9月末現在、112万3000柱が未帰還だ。このうち30万柱は、沈没した艦船などと海底に眠り、23万柱は相手国の事情により収容が困難。政府は残る59万柱を中心に、調査や収集を進めている。
国の遺骨収集事業は1952年度に始まり、2016年成立の「戦没者遺骨収集推進法」は、収集を国の責務と定めた。
しかし、14年度に1411柱だった収容数は、23年度は139柱まで落ち込んだ。遺骨の風化が進み、埋葬地を知る関係者も減っているためだ。
遺骨収集事業に詳しい浜井和史・帝京大教授は「戦争の記憶を引き継ぎ、その惨禍に向き合うためにも、遺骨収容の重要性は増している」と指摘する。「できるだけ多く遺族に返すためには、DNA鑑定など科学的知見を駆使することが不可欠だ」と語る。
「遺骨ふるさとに」遺族願う
ペリリュー島の戦没者を追悼する慰霊祭が11月23日、茨城県護国神社(水戸市)で営まれ、遺族ら約50人が参列した。
大叔父が戦死した福島県南相馬市の原田敏さん(43)は、母・静枝さん(73)らと黙とうをささげた。祖父の弟である良男さん(享年23歳)は、歩兵第二連隊で部隊長を務めていた。その遺骨は帰っていない。
原田さんは家族から「(良男さんは)子どもの頃から黙々と勉学に励み、近所の土手で号令を練習し、兵隊を目指していた」と聞かされた。良男さんが同島に向かう前に両親へ送った手紙では、「相変わらずご奉公しておりますからご安心ください」ときちょうめんな字がつづられていた。
2010年5月、「大叔父の生きた痕跡を見つけたい」と新婚旅行で同島を訪れた。洞窟に足を踏み入れると、火炎瓶が転がっていた。「水や食料もなく、この閉ざされた空間で戦っていたのか……」。凄惨(せいさん)な光景に言葉を失った。「ひとかけらの遺骨でもいいので、ふるさとに戻してあげたい」。原田さんはそう願う。
◆ペリリュー島=西太平洋にある南北約10キロ、東西約3キロの島。1920年から日本の委任統治下に置かれ、軍事拠点となった。44年9月15日以降、米軍が4万人以上の兵力で上陸し、1万人の日本軍は洞窟を拠点に抵抗した。組織的な戦闘は同11月24日まで続き、日本軍の生存者はわずか約450人。2015年、在位中の上皇ご夫妻が慰霊のため訪問された。現在はパラオ共和国に属する。