実母は「結婚したことさえ知らなかった」…「紀州のドン・ファン事件」須藤早貴被告の闇 “55歳年上”に嫁入りの真相 “親の脛”でホストクラブ通いも
“空港で出会った”のウソ
そもそも、須藤被告と野崎氏が知り合ったのは、2017年11月のこと。 その経緯について、野崎氏の著書『紀州のドン・ファン 野望篇』には、こう記述されている。 〈昨年秋に羽田空港で転んだ私を優しく助けてくれたのが早貴ちゃんでありました。もちろん計算ずくの転倒でありまして、コケるのも歳の功、亀の甲であります。「ありがとうねえ。お礼にお食事でもいかがですか?」〉 その後、デートを重ね、京都の清水寺でプロポーズし、今年2月に晴れて入籍の運びになったという。 しかし、前出の会社関係者が続ける。 「社長は、銀座の高級デートクラブを頻繁に利用していました。2016年、27歳の愛人に現金600万円と5400万円相当の貴金属を盗まれる事件が起こった。ワイドショーなどにも取り上げられ、社長が世間に知られるきっかけになった事件ですが、その愛人を引き合わせたのもそこでした。だから、本当は早貴さんも、同じところから紹介されたのに、後々、社長が結婚相手として相応しいように都合のいい話をつくり上げたのだと周りは思っていました」
いい女を知っている
ところが、野崎氏の死後、須藤被告が周囲に打ち明けた話などから判明した“出会い”の事実は、まったく違うものだったという。 親しい知人が語るには、 「野崎さんが書いた『紀州のドン・ファン』のファンだという男から、昨秋、手紙が送られてきたそうです。その後、会社にも電話をかけてきて、野崎さんと是非とも話したいと。そこで、“俺もいい女を知っている。モデルの女を紹介できるから”と、野崎さんに持ちかけてきた。でも、紹介されたモデルの女は結局、金持ち相手の愛人になることに興味を示さず、断ってきたのです」 しかし、そのモデル女性が代わりに紹介してきたのが、須藤被告だったという。 「あらためて、早貴さんに問い質しているのですが、そのような男には会ったこともないし、モデルの女とももともと親しくなかったから名前も忘れたと言うばかり。調べてみると、その男は50代で、実家は東京で自動車修理工場を経営。本人は月の半分くらい、九州で仕事をしている。今度のことが起こってから、男はマスコミにネタを売り歩いているとか。警察の方でも野崎さんの死にかかわりがないか、行方を捜していると聞きました」(同) 高級デートクラブではなかったにしろ、結果的に、怪しげな男の仲介で2人は知り合ったわけだ。
*** 公判は最大で計25回行われ、12月12日に判決が下される見通しだ。殺害の直接証拠がない中、検察は状況証拠の積み重ねで殺害を立証する戦略である。今後の公判の行方が注目される。 デイリー新潮編集部
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