「理解不能な孤高のレスラーへ」リングの哲学者・ライジングHAYATOが描くPUNKな未来
◇曾祖母の死、敗北を乗り越え新たなステージへ 2024年はHAYATOにとって飛躍の年になった。3月9日の後楽園ホールで5度目の挑戦にして世界ジュニア・ヘビー級王座を田村男児から奪取して、MUSASHI、世界ジュニア・ヘビー級王座の最多防衛記録を持つレジェンドのカズ・ハヤシ、阿部史典の挑戦を退け、安齊、本田竜輝、綾部蓮とともに新世代ユニットのELPIDAを結成した。 だが7月に入って状況は一変。7月11日に99歳の曾祖母がなくなり、その2日後の7月13日にはエディオン・アリーナ大阪で、“ミスター斉藤”土井成樹に敗れて世界ジュニア王座を失ってしまったのだ。 「ひいばあちゃんはシベリア抑留から帰ってきた人で、小さい頃からちょこちょこっと、かいつまんだ話は聞いていたんだけど、実家の隣に住んでいて、いつでも話を聞けると思って先延ばしにしているなかで亡くなってしまったんで、俺の中ですごく後悔があった。 親戚一同に“来なくていいから、試合に集中して”と言ってもらって、葬式に行かずに集中した試合だったのに負けてしまって、自分に対する“何してるんだろう?”っていう思いが強かったね」 失意のHAYATOにとって希望になったのは7月20日、後楽園ホールにおける宮原とのネクストリームのファイナルマッチ。宮原は時代の流れのなかで、9年におよぶネクストリームの解散を決意。その相手に、最後のメンバーだった失意のHAYATOを指名したのである。 「世界ジュニアが終わって、次の後楽園ホールまでホントに何もやる気が起きない、何も集中できないような状況が続いて、酒飲んだり、絵を描いたりとか引き籠っていた。世界ジュニア以降、もしかしたら今までと同じ感覚では試合ができないんじゃないかぐらいの精神状態だったんだけど、墜ちた試合のあとに宮原さんとの試合だったんで、運が良かったというか、うれしかったよ。 宮原さんと試合をして、改めて“自分はプロレスラーなんだな”って実感した。あと、これは俺が勝手に思ったことだけど、試合中に宮原さんに“なに下向いてんだ。レスラーだったら上を向いて次に向かえ!”って応援されている気がした」 その翌日の7月21日には愛媛プロレスの松山大会に出場して、マツヤマ・ウォリアーとタッグを組んで黒潮TOKYOジャパン&イマバリタオル・マスカラスと対戦したが「宮原さんとお別れ試合をした翌日に、一時期、同じユニットを組んでいた黒潮TOKYOジャパン選手と対戦して、運命めいたものを感じた」と言う。 そして、8月3日の仙台サンプラザホールにおける本田&綾部とのELPIDAとして、全日本隊(宮原&諏訪魔&佐藤光留)とのユニット対抗戦が、HAYATOにとっての新たなスタートに。試合は綾部が光留を押さえて勝利した。 「宮原健斗が対角に立っているっていうのが、まだ俺の中では違和感を覚えたんだけど、目を見たときに今までの自分に向けられているものとは違って殺気がこもっていて、“これは俺も敵として見ないと失礼だな”って吹っ切れた。俺の新たなスタートになったのも宮原健斗だったね。いつも俺のターニングポイントには宮原さんがいるよ」 そして、無冠となった今、HAYATOの新たな道とは? 8月17日のアリーナ立川立飛では、北斗軍とのユニット対決(HAYATO&本田&綾部vs羆嵐&ハートリー・ジャクソン&ジャック・ケネディ)が組まれている。 「今のELPIDAのメンバーなら、どこのユニット相手でも試合に勝てるし、他のユニットにはない思想……過去に対して戦いを挑む、固定概念を壊す、プロレスを若々しく生き返らせる、という確かな思想があるから、万が一、試合に負けても本当の意味で負けることはないと思っているので、何も心配してないよ」とHAYATO。 個人としての方向性については「恋人と言っていた世界ジュニアの奪還というのもあるけど、今の自分のポジション、自分の個性を出すためにやってきた過程では、別にベルトを持っていたわけではないので、自分の世界をもっと深く探し求めていこうかなと。 表面的にはやることは大して変わりはしないと思うけど、哲学の本を読んだり、絵を描いたり、自分の好きな言葉の羅列をノートにメモしたりとか、プロレスの練習以外にもそういうものを積み上げて、孤高と言うか、他のプロレスラーが理解できないプロレスラーになるしかないと思っているよ」と語る。 パンクな哲学者・ライジングHAYATOのプロレスはこれからさらに進化していく。 Let's punk!
小佐野 景浩