「理解不能な孤高のレスラーへ」リングの哲学者・ライジングHAYATOが描くPUNKな未来
◇デスマッチを観てプロレスラーを志向 全日本プロレスの若き三冠ヘビー級王者・安齊勇馬が、尊敬しているのはライジングHAYATO。「誕生日は5か月ぐらいしか違わないんですけど、学年は1コ上で、プロレスのキャリア的には大先輩。儚さとカッコよさがある」と言う。 【フォトギャラリー】ライジングHAYATO「全日本プロレス『熱闘!サマーアクションウォーズ2024』選手インタビュー」(撮影:京介) 地元の愛媛プロレスで、高校3年生(17歳)のときにデビューしたHAYATOは、26歳ながら今年の10月でキャリア8年を迎える。メイクにタトゥー、1970年代のパンクロックを牽引したセックス・ピストルズを思わせるコスチュームに身を包んで女性ファンを虜にしているが、独特の感性はプロレスラーを目指した動機からも伺える。中学卒業間際に、YouTubeで観た葛西純vs伊東竜二のカミソリ十字架ボードデスマッチに魅了されたというのだ。 「中学卒業が近くなっても、俺は進路希望の紙も“特になし”で出すくらいホントに何もなかった。そんなとき、友達にYouTubeを見せられて、最初からプロレスを仕事にしようと。プロレスは相手の技を受けるものなんだってすぐにわかって、それを観てお客さんが喜ぶ。究極の自己犠牲みたいな感じで、ものすごくカッコよく見えた。 子どもの頃から危ないことが好きっていうのもあったね。立体駐車場の一番上から下までノーブレーキで自転車で降りて、車に轢かれなかった奴が勝ちだっていうゲームをやったりとか、もともと危険なことを楽しむのが好きっていう持っている性分と、自己犠牲のカッコよさとお客さんの熱と……いろんなものが合致して“この仕事に就きたい”って最初から思ったよ。 きっかけはデスマッチだけど、そこからいろんなプロレスを観るようになった。俺の中ではプロレスとデスマッチの境はないよ」とHAYATO。デスマッチ・ファイターになりたいというわけではなかった。 高校を卒業したらYouTubeを見せてくれた友達と一緒に東京に出て、どこの団体でもいいから入門テストを受けようと思っていたが、地元・松山で愛媛プロレスが旗揚げするのを知って入門。友達は辞めてしまったが、HAYATOは高校生レスラーとしてデビューした。 デビュー後、DDTの若手興行のDNA、TAKAみちのく主宰のK-DOJO、さらに全日本プロレス、プロレスリング・ノア、ドラゴンゲート、大日本プロレスが愛媛で大会を開催するときに参戦させてもらっていたが、2020年1月に上京して、全日本プロレスに3か月留学する。ここからHAYATOのプロレスラー人生は大きく開けた。 「そのときまでプロレスをみっちり教えてもらったことがなかったから、ちゃんとした知識を身に付けたいということをずっと団体側に言っていて、最終的に“3か月だけなら”ということで、つながりのある団体の候補から“全日本プロレスお願いします”と。 当時は秋山(準)さんもいて、TAJIRIさんにも教えてもらったりして、知らなかった技術をたくさん覚えた。当然、かなり厳しくて10kg痩せちゃったけど(苦笑)。今まで経験したことのない上下関係や、プロレスラーとしての常識っていうのをみっちり教えてもらったよ」 留学は3か月だったが、6月からは正式に全日本からオファーをもらって、レギュラー参戦。そして、2022年1月1日付で愛媛プロレスと全日本プロレスのダブル所属となった。 ◇心身を”パンク精神”で解放 宮原健斗に見込まれて宮原、黒潮“イケメン”二郎(現・黒潮TOKYOジャパン)、フランシスコ・アキラとの「ケントとイケメンとアキラとハヤトの大冒険」という陽気なユニットに加えてもらったり、ジュニア・ヘビー級戦線で青柳亮生とのコンビで売り出され、宮原率いるネクストリームのメンバーにもなって人気が上昇したが、2022年8月14日の新木場大会から突如としてビジュアル系に大変身してレスラー仲間、関係者、ファンを驚かせた。 「愛媛プロレスでは一期生だから先輩がいなくて、デビューした瞬間からエースっていう感じなんで、自分がどう思っているかよりも“この場を一番収める発言はこれだ”みたいな、いい子ちゃんの発言を数年間、繰り返しているうちに、段々と感性が鈍くなってしまった。 プロレスはヒューマンドラマでもあるのに、自分というものを出せなくなって、そこに起爆剤じゃないけど、その場を収めるとかっていう考えを一度やめて、自分の思ったこと、やりたいことを自分の好きな音楽とかと掛け合わせてやろう、という感じだったよ」 今のHAYATOの姿は自己解放の証であり「もともと親戚に音楽好きが多くて、俺の父親も学生時代にバンドを組んでたりとか。で、俺の家ではザ・ブルーハーツとか、その年代のパンクロック、ビジュアル系バンドの音楽がずっと流れてて、小学5年生ぐらいから俺もブルーハーツにハマっていたね。 そこから“じゃあパンクロックの起源はなんだろう?”って調べていって、セックス・ピストルズにたどり着いて、動画を観たり、いろいろ調べて社会に対する不満、社会に対する怒りだったりをぶつけたりという背景を知って、ドハマりしたよ」と、今の姿のルーツを語る。単なるキャラ変ではないのだ。 最近は首のタトゥーがバージョンアップされたが、それも「タトゥーそのものには意味はないけど、タトゥーを入れるという行為に意味がある。タトゥーは1回入れたら取り返しがつかないよね。いろんな団体のいろんな選手から“じつは自分も入れたい”って話を聞くけど、会社との兼ね合いがあったり、プロレスラーで入れている人が少ないのもあって、俺が話を聞いたレスラーは誰も入れてないよ。 だから、俺のタトゥーはプロレス界の常識・文化に対する自分なりの小さな反発でもあるね。先日、友達と焼肉を食べに行こうと思ったら、店の入口に“タトゥーの人はお断り”の張り紙があって違う店にしたけど(苦笑)。パンクはそういう差別を受ける立場でないとなかなかできることではないので、自ら差別される立場に入っていってるところもあるね」というパンク精神なのだ。 ビジュアル系と称されるが、見かけではなく、その感性が内面から滲み出ているのがHAYATOの魅力。ライジングHAYATOは「考えるプロレスラー」である。 「洋楽の歌詞の和訳を見て、この表現の仕方が面白いなと思ったら、その言葉をノートに書くのが趣味。曲の歌詞を見て“人をこういう気持ちにさせるために、この表現をしてるんだな”とか“ここでこう思わせるために、この言葉を使ってるんだな”ということを探っていくのがすごく好きだから、それが活きているのかもしれないね。 あと、今はニーチェと仏陀について勉強するのにハマっているよ。物事の理由を考えるのが好きだからね。もともと、考え込んでしんどくなっちゃうタイプなんで、そこから絵を描いたり、独りで言葉遊びをしてみたりっていうのを始めたのかな」