【災害支援を進化させる日本の警察】きっかけは阪神大震災の教訓、国民が取るべき行動とは
もっとも、発災直後の被災地の所轄はいずれも、東灘署と同じような状況だった。兵庫区を管轄する兵庫署は、4階建て庁舎の1階部分が押し潰され、拠点機能が一時喪失。署員10人が生き埋めとなり、うち1人が犠牲になった。 また、前述の兵庫県警が生田庁舎に災害対策本部を置いたのも、神戸港内に造られた人工島「ポートアイランド」にあった港島庁舎が、震災による液状化現象で使用不能となったからだった。 さらに県警が、震災発生当日の17日に受理した110番件数は7188件で、前年の1日平均受理件数の4倍以上に達した。 東灘区の混乱は、翌18日以降も続いた。同区南部の工業地域にあったLPGタンク(2万トン)が震災で損傷。18日未明から液化石油ガスが漏れ出し、午前6時、市の災害対策本部は爆発の恐れがあるとして、同区の南西部一帯に避難勧告を発令した。対象は、区民の3分の1に相当する約7万2000人という大規模なものだった。 午前6時過ぎ、東灘署1階の電話が一斉に鳴った。それと同時に、署内にどっと人が流れ込んできた。「ガスが漏れて、爆発するってラジオで言うてた」、「どこまで逃げればええんや」。署内は避難する住民で溢れた。 結局、LPGタンクは爆発をまぬがれ、避難勧告は同日午後6時半に解除された。が、その数日後、今度は同区北部の住宅街で、崖崩れの危険性が高まり、再び避難勧告が出された。相次ぐ二次災害への対応に、被災地の行政と警察は混乱した。
多岐にわたる被災地の警察活動専門部隊や装備を続々と整備
しかし、この時、区の避難勧告に先駆け、「広報」という形で、住民たちに退避を促し、スムーズな避難に導いたのが、冒頭の福岡県警管区機動隊と同様に、応援部隊として被災地に派遣された警視庁特科車両隊の隊員たちだった。特科車両隊は、サミットやデモ警備だけでなく、災害警備や支援において、極めて練度の高い部隊だった。 阪神大震災では、全国の警察から、レスキュー部隊員などを中心とした機動隊員約5500人が、兵庫県内の被災地域に派遣され、被災者の救助活動や行方不明者の捜索にあたった。さらにヘリやパトカーなど約200台に加え、白バイ、捜査用車両約80台が投入され、兵庫県警の活動を支えた。 被災地における警察活動は、前述の救助活動や行方不明者の捜索、避難誘導だけでなく、緊急車両の通行路や物資輸送路の確保のための交通対策など、多岐に及ぶ。 また、大規模災害発生後の被災地における犯罪防止には、警察官の「制服」が圧倒的な抑止効果を発揮する。このため警察庁は、各都道府県警の地域部、つまりは「制服警官」を中心にパトロール隊を編成し、被害の大きい被災地や避難所に投入した。 そして、被災地において展開される行政や消防、自衛隊などさまざまな公助機関による活動の中でも、警察にしかできないものがある。 「検視」である。刑事訴訟法第229条に基づき、検察官または警察官が、死体について、その死が犯罪に起因するものか否かを判断するため、死体の状況を外表から検分することだ。しかし実際には、相応の経験と法医学の知識を要するため、専門の教育や訓練を受けた、刑事課や鑑識課などに所属する捜査員が担当する。 阪神大震災の死者は6434人だが、このうち直接死は5483人。県警は県内各署から、被災地の所轄署に「検視班」約300人を派遣。さらに大阪、京都、滋賀、奈良、和歌山の5府県警から検視作業に熟練した警察官が派遣され、検視や身元確認にあたった。 この阪神大震災を機に、警察庁は、大規模災害発生時に、都道府県の枠を超えて、広域的に活動ができ、高度の救出救助能力を持つ災害対策専門部隊として、全国の都道府県警に、救出救助を行う警備部隊(約2600人)と、緊急交通路の確保などを行う交通部隊(約1500人)で構成される「広域緊急援助隊」(約4100人)を創設。同隊の活動を支えるため、レスキュー車両やファイバースコープなどの資機材や、部隊が被災地で自活できる装備を整えた。