坂茂による「令和6年能登半島地震 被災地支援プロジェクト」が進行中。仮設住宅から仮設工房、瓦・古材回収プロジェクトまで
今年1月1日に発生した令和6年能登半島地震。これに伴い、建築家・坂茂が代表を務めるNPO法人ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)+ 坂茂建築設計は被災地支援プロジェクトを続けている。発生から約7ヶ月経過した現地の様子と合わせ、プロジェクトの一部を紹介する。坂茂インタビューはこちら。 珠洲市見附島の仮設住宅 プレハブでつくられた従来の仮設住宅と比較し、同等のコストかつ恒久に使えるものとして建設されているのがDLT(Dowel Laminated Timber)仮設住宅だ。DLTは製材を並べて穴を開け、木ダボを差し込むといったシンプルな製法でつくることができる木製素材。接着剤や釘を使用しないことから環境負荷も低く、誰もが組み立てることができるという点で採用された。 取材時には新たに建設された棟の内観も見学することができた。部屋にはアーティスト・鴻池朋子 による手縫のカーテンも各世帯分設置されており、壁面の木目もあわせて、あたたかい居住空間を維持することも心がけたという。 従来の仮設住宅には、高額な建設費用が掛かるのにも関わらず、2年しか住むことができず廃棄されてしまうといった問題がある。そして何よりも被災地におけるプライバシーの確保や住宅の住み心地を追求してきた坂は、こういった仮設住宅に関する研究開発を2011年の東日本大震災以降続けてきたという。入居者を前に同氏は「日本人は我慢強い傾向があるが、被災者にはもっとわがままになってほしい。そうすることで、避難所や仮設住宅のレベルをより上げていく必要がある」と述べていた。 また、坂は現時点で64の地方自治体と防災協定を結んでいる。珠洲市は、昨秋同地で開催された「奥能登国際芸術祭」にて、坂はレストランの設計を担当。 そこで築かれていた市との関係値が今回の迅速な仮設住宅の受注へもつながったという。 しかしながら、震災から7ヶ月が経過した現在、仮設住宅への入居状況は現時点で6割にとどまっている。 紙のログハウスによる仮設工房 今回の震災は住居はもちろん、輪島塗や珠洲焼といった伝統工芸にも大きなダメージを与えた。珠洲焼作家・篠原敬さんの工房横に仮設された紙のログハウスは、昨年のトルコ地震や奥能登地震、ハワイのマウイ島での大火災、モロッコ地震などでも活用されたもので、直径20センチ、厚み10ミリの紙管や断熱材を挟んだ合板でつくられている。今後は、輪島漆芸美術館に10軒の仮設工房が設置される予定だという。 しかしながら、活動の再開にはまだまだ時間を要する。篠原さんの工房で使用されてきたレンガ窯は現在も崩れたままの状態で復旧が困難であることに加え、篠原さん自身も仮設住宅への入居ができていない状況だ。 経済産業省では、これまでに2回ほど「伝統的工芸品産業支援補助金(災害復興事業)」の公募を実施。伝統的工芸品の製造事業者などが被災により影響を受けた場合、事業再開のために必要な生産設備等の整備、原材料確保に必要となる経費の一部を国が補助することにより、伝統的工芸品産業の復興に寄与することを目的としたもので、現地の事業者らは避難を続けながらも、これらへの申請を進めている。 瓦・古材回収プロジェクト 奥能登の美しい景観をかたちづくる要素のひとつに能登の黒瓦の存在が挙げられる。しかし、近年その製造メーカーが閉鎖されたことや、今回の震災では住宅が倒壊した原因が重い瓦屋根にあるという誤解も現地では広がっているという現状から、復興時に再利用できるよう瓦の保存作業が進められている。 この活動は、地元の瓦職人らによる保存プロジェクト「瓦バンク」との協働で行われており、回収作業には坂茂建築設計のインターン生や学生アルバイトらが有志で参加していた。 * 同地では昨年5月にも大きな地震が発生しており、奥能登国際芸術祭2023が開催された秋頃も復興の最中であった。しかし、その際の被害状況とは比べものにならないくらいの家屋の倒壊が市内では起こっており、現在も解体されず残ったままとなっている。以前実施したインタビューのなかで坂は、災害大国であるにも関わらず、それに関する国の制度に遅れがあることを指摘していた。毎年必ずどこかの地域が被災地となってしまう日本において、避難所の環境や運営スタッフの水準を上げていくことが必要不可欠となっている。 なお、現地を取材するにあたって、坂茂建築設計スタッフの皆さまに多大なるご協力をいただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。
文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)