「箱根駅伝の中継で特定の旅館の名前が出るのは『小涌園前』だけ」スポーツライター・生島淳の“箱根駅伝中継”裏話
TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、常連客の東京藝術大学学長・日比野克彦さんとスポーツライター・生島淳さん。ここでは、10月23日(土)に開催された第100回箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)予選会を観た感想を語り合いました。
◆日比野「とんでもない実況中継を観た」
日比野:先日、なんとなくテレビをつけたら、第100回箱根駅伝の予選会を生中継していて“予選も生中継しているんだ!”と思って。 生島:数年前から、予選会も生中継するようになったんですよ。ご覧になってどうでした? 日比野:(中継を)途中から観たのもあるんですけど、すごい人数が走っていてちょっとよくわからなくて(笑)。それに“ドドドドド”って(ゴールに大勢の選手が)入っていくから“どこでタイムを計っているのかな?”と思いつつ、この結果によって“数秒の差で泣くチームが出てくるんだ”と思うと……とんでもない実況中継を観たなと。 生島:結局、出場権を獲得できる13位と14位の差が3秒差だったのかな? 日比野:そうだったね。 生島:予選会の選手の数は、ちょっと情報処理しきれないですよね。ドドドドドだから(笑)。100回の箱根駅伝に出場するのは、例年より3チーム増えて23チームなんですけど、2日間・11時間ぐらい観て、ちょうど情報処理が追いつくんですよ。 でも、高校駅伝や都道府県対抗駅伝だと、47チームが一斉に走っているから、駅伝が大好きな僕でも情報処理をが追いつかないんです。だから、箱根駅伝の例年20チーム、今回で100回大会の23チームってちょうどいいんだなと思いました。
◆箱根駅伝・中継の裏話
日比野:(箱根駅伝の本選は)お正月になくてはならないほど定番化してきましたよね。 生島:日本テレビで中継が始まったのは1987年(第63回)からなんです。 日比野:ずいぶん遅いんですね。 生島:これは、箱根山中の電波が飛ばせなかったからなんですよね。 日比野:あ~、なるほど。じゃあ、スタートとかゴールは中継していたのですか? 生島:そうですね。ただ、そのときは日本テレビじゃなくて東京12チャンネル(現:テレビ東京)でした。それで、日本テレビが生中継を始めるときに、今はWOWOWの代表取締役社長をしている田中晃さんが、箱根の山に登ってアンテナを立てていったという逸話があるんです。 日比野:それはすごいですね。 生島:当時、田中さんはチーフディレクターで、かなり偉かったと思うんですけど、若い人たちと一緒に登っていったらしいですよ。 日比野:中継のためにね。 生島:今も田中さんとお話をすると面白くて。当時、いろいろ準備して現場に行ったのに、1月2日の夜に泊まる宿を、日本テレビとして押さえていなかったらしいんです。 日比野:スタッフ分の? 生島:ええ。それで、そのときに提供してくれたのが小涌園だったそうです。実は、箱根駅伝の中継で特定の旅館の名前が出るのって、その「小涌園前」だけなんです。 日比野:よく中継で「小涌園前」って聴きますよ。 生島:それは、そのときの恩義から小涌園前での中継がずっと続いているそうです。