今なら大炎上必至! 昭和時代、大いにリスペクトされていた「明治女」の真髄
昭和時代には、明治生まれの「明治女」たちが著した「おばあさん本」ブームがありました。明治女とはどのような女性で、どんなところがリスペクトされていたのでしょうか。 【エッセイスト・酒井順子さんが、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、あらゆる「老い本」を分析し、日本の高齢化社会や老いの精神史を鮮やかに解き明かしていく注目の新刊『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)。本記事は同書より抜粋・編集したものです。】
江戸時代に通じている存在
井戸で水を汲み、暖房は火鉢だけ、洗濯は手洗い……という明治の生活はほとんど江戸時代と変わらないのであり、当時の日本において「明治生まれのおばあさん」は、前世紀の生活を知っている珍しい存在となっていた。 「明治女」というのは昭和時代、一種のブランドでもあった。日本が経済発展を遂げて様々な電化製品が普及すると、主婦の生活はすっかり楽になる。すると、強い精神力や、電化製品がなくても家事を推進する能力を持つ明治生まれのおばあさんは、 「さすが明治女」 と言われるように。そこには、江戸時代の残滓(ざんし)を抱く存在に対するリスペクトがこもっている。 対して「大正女」という言葉は、あまり耳にしない。現在も大正生まれのおばあさん達は存命だが、高齢であるという事実によって尊敬されてはいるものの、 「さすが大正女」 という言われ方はされない。質実剛健イメージがある明治に比べ、大正は華やかな時代というイメージがあるせいなのか。
全身全霊を込める「完全手作り主義」
料理家の辰巳浜子による『娘につたえる私の味』もまた、明治女による名著である。昭和の家庭には皆、この本があったと言われたほど話題になった料理本である本書。タイトルにある「娘」とは、決して妥協を許さぬ厳しい料理家として有名な、辰巳芳子を指す。 この本が出た1969年(昭和44)、1904年(明治37)生まれの浜子は、65歳だった。「はじめに」の一行目には、 「手作りのお八つを食べさせている家庭からは非行の子供は出ないとか、聞いております」 という、おそらく今の時代ではかなり書きづらい文章が。またそこには、 「私は三人の子供たちを完全に母乳で育てました」 ともあり、子供たちが大きく健やかに育つようにと祈りながら母乳をあげたのと同じように、その後もお菓子やお弁当作りに励んできた、と続く。 明治女・辰巳浜子の料理は、このように完全手作り主義。「時短」「手抜き」的な発想は、一切存在しない。家族やお客様のために手間を惜しまず、全身全霊を込めて料理をしているのだ。 『娘につたえる私の味』は、昭和の高度経済成長期の日本の核家族の中で、料理面における姑や母親の役割を果たしたのだろう。そういえば私の母など、その頃の若い専業主婦達は、子供には手づくりのおやつを与える傾向があったが、それも辰巳達の影響だったと思われる。 浜子の思想は、大正女である娘の芳子(1924・大正13年生まれ)が受け継いでいる。2008年に復刻された『新版 娘につたえる私の味』には、芳子が母の料理に解説を付け加えているのだが、そこから漂ってくるのは、母親に対する限りない敬愛。そして、主婦は他者のために手間を惜しまず料理を作らなくてはならない、という母・浜子の姿勢からどんどん離れていく日本女性に対する、怒りのような感情である。 時短、手抜き、家事分担……と、辰巳浜子・芳子母娘からすると考えられないような家事感覚を、日本の女性達は時とともに強めている。時代の趨勢を考えればそれは当然の変化だが、今も存命の芳子は、そのような状況に対する怒りを持ち続けているに違いない。宗教家のような芳子の姿勢は、今となっては神々しくさえあり、熱狂的なファンも少なくないのだった。 * 酒井順子『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)は、「老後資金」「定年クライシス」「人生百年」「一人暮らし」「移住」などさまざまな角度から、老後の不安や欲望を詰め込んだ「老い本」を鮮やかに読み解いていきます。 先人・達人は老境をいかに乗り切ったか?
酒井 順子