「“隠れる”ことでうまく生きる」古内一絵×平埜生成『東京ハイダウェイ』
息苦しさを取り払うための隠れ家やスイッチを持ってほしい
古内 作中でも書いたけれど、私、「自助」って嫌な言葉だなと思うんです。自分のことは自分でやるべき。それはみんなわかっていると思いますよ。わかっていてできない人たちがいるのに、それを切り捨てるような息苦しい世の中になってしまった。「隠れ家」というテーマを選んだのは、少しでもその息苦しさを取り払う手助けになるもの、気晴らしになるようなものを書きたいという気持ちもあったからなんです。平埜さんにとってそういう隠れ家的な場所はありますか? 平埜 この本を読んだ人は絶対に、自分にとっての隠れ家がどこなのかって考えますよね。僕も読みながらずっと考えていたんですが、自分の場合は「読書」なんじゃないかと改めて思ったんです。作中の言葉を借りると、隠れ家とは「ときに恐ろしいほど無慈悲になる世界と対峙(たいじ)するために、ささやかに自らを癒す場所」。つまり、「力を蓄える場所」ですよね。僕にとってはまさに読書がそういう場所だなと。 古内 それはすごく嬉しいですね。 平埜 もし隠れ家が見つからなかったら本を読めばいいんじゃない? というメッセージを、古内さんはこの作品に込めたのかなと勝手に思っていたのですが。 古内 『東京ハイダウェイ』も、そういう隠れ家になってくれたらいいなと思うし、作中に登場する場所に、実際に行ってみようかなと考えてくださったら、さらに嬉しいですね。 平埜 プラネタリウムには今日来られたから、次は上野に行ってみようと思います。なんだか行程表を作って聖地巡礼したくなりますね(笑)。遠方に住んでいる人も、旅行やお仕事で東京に来たときに足を運んでみてほしいです。 ――古内さんにとっての隠れ家はどんなところでしょうか? 古内 この本でご紹介したところはどこも私のとっておきの隠れ家なんですが、あとは体を動かすことも隠れ家になると思いますね。 平埜 確かに。「タイギシン」の主人公の圭太(けいた)も、ボクシングに出会って変わっていきますよね。 古内 私、体を動かすのも好きなので、水泳や、それこそ最近はボクシングもやっているんですよ。担当編集さんはバレーボールをされていて、体を動かしているときは何も考えなくて済むからそれが隠れ家になっているとおっしゃっていて。それもいいなと思って「タイギシン」を書いたんです。 あと私、公園で本を読むのが好きだったんですが、コロナ禍で難しくなった時期がありましたよね。それで仕事場のベランダにキャンプ用の椅子を買って、そこで外気に当たりながら本を読むようにしてみたんですよ。そしたら最高に楽しくて。ベランダも十分隠れ家になるなと思いました。今は隠れ家がないとなかなか生きづらい世の中ですよね。 ――オンとオフの境界が曖昧になりがちな今の時代ですが、うまく息抜きをするコツは何でしょうか? 平埜 何だろう、難しいですね。だけど、作中でも取り上げられていたハラスメントとかコンプライアンスの概念が芸能界や演劇界にも浸透してきていて、結局のところ一番気を遣える人だったり、一番優しい人がつらい目に遭っちゃうんじゃないかとか、いろいろと考えさせられるところがありました。 質問の答えになっているかわかりませんが、実はコロナ禍で同業の知人が精神的に追い詰められて、亡くなってしまったんですよ。そのとき、彼と僕とを分けたものは何だったのかとすごく考えたんですが、おそらく僕は鈍感だったのかなと。「鈍感」ってもしかしたらすごく大切なキーワードなんじゃないかと。いい意味で「まあいっか」と割り切れる鈍感さは、この複雑な社会を生きるうえで、意外と必要になるのかもしれません。 古内 それたぶん、鈍感さというよりは「スイッチ」なんだと思います。踏みとどまれるか踏みとどまれないかのスイッチ。どんな人にも危うい時期って絶対にあると思うんです。その人にしかわからないことも多いから一概には言えないんだけど、違いはそこにあると私は思います。だから、そこで踏みとどまったということは平埜さんのスイッチはきちんと機能したということ。なかなかその切り替えが難しいこともあるとは思うんだけど。 平埜 なるほど。作中で久乃が考えていたように、自分のなかにいろんな仮面を持つことも、スイッチを切り替えるうえで重要なのかもしれませんね。自分が何者なのか、母なのか女性なのか上司なのか。僕も、趣味のサウナやタップダンスのレッスンに行っているときの自分、筋トレをしているときの自分、本を読んでいるときの自分、家族と一緒にいるときの自分……何人かいますが、そういう仮面をたくさん持つことは大切かもしれません。 古内 そう思います。そうしてできるだけたくさんのスイッチと、たくさんの隠れ家を用意してほしいですね。そこから逃げることはできなくても、何かが過ぎ去ってくれるまで、少しの間だけでも隠れていられる場所。そういうものがあるだけできっと違いますよね。そのヒントをこの作品のなかから見つけていただけたら嬉しいなと思います。 ――対談後、プラネタリウムで『まだ見ぬ宇宙へ』というプログラムをご覧いただきました。太陽系を脱して宇宙の果てまで旅をする、じつに壮大な内容でした。 平埜 いやあ、面白かったです。宇宙の広さを前に、なぜ自分はこんなことで悩んでいるんだろうって気持ちになりますね。解説を聴きながら幼い頃に通ったプラネタリウムの記憶が蘇りました。 古内 星の悠久の時間を思うと、自分が自分でいられる時間の短さが胸に迫り、その時間を大切にしなきゃと思いますよね。やっぱり、こういう素敵な隠れ家で、心身を解放して力をチャージする時間って大事だなあと思います。 「小説すばる」2024年6月号転載
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