放送作家・町田裕章氏、芸人バラエティと同じスタンスで臨む“坂道3番組” 他番組での抜てきにも尽力「適材適所に」
■忘れられない伝説の先輩「毎回秀逸でした」 ――作家における師匠という存在の方はいらっしゃるのですか? 師匠ではないですが一時期お世話になったのは、おちまさとさんですね。その『リングの魂』で出会って、そこから『仕立屋工場』『百萬男』(フジテレビ)とか、おちまさとプロデュース的な番組のお手伝いをさせてもらいました。 おちさんの印象は、テレビ業界の中だけにいない人というか、テレビ以外で流行っているカルチャーであるとか社会的な出来事をテレビの企画に落とし込むことが上手くって、そういう企画立案は憧れましたね。 ――放送作家という仕事を誰かに直接的に教わったということではないんですね。 そうですね。諸先輩方の背中を見て学ばせてもらったという感じですね。だって、若手の頃から高須(光聖)さん、そーたにさん、中野(俊成)さんという超一流の作家さんたちとの会議に出ていて、その方々の仕事ぶりを間近で見てるわけですから、そりゃ勉強になりますよ。振り落とされないように必死でついて行ったら勝手に成長していたみたいな感じです。 その中でも忘れられないのが、『くりぃむナントカ』『シルシルミシル』(テレビ朝日)でご一緒させてもらった渡辺真也さん(2015年死去)ですね。放送作家はなんだかんだ言っても面白いネタを会議で出してくる人がリスペクトされるんですが、渡辺さんのネタは毎回秀逸でした。 渡辺さんのネタは、「発想の出元が分からないこと」と「ギリギリ成立していること」がすごいなと思っていて。テレビって制約も多くて実現できないことも多々ある中で、突飛なネタなんだけどギリギリ成立しているというラインが上手かったですね。僕は今でも、こんな宿題の時に渡辺さんだったらどんなネタを出してくるだろうと想像したりします。遠く及びませんが(笑) ――まさに背中を見て育ったという感じなんですね。 この連載で藤井(智久プロデューサー)さんもお話しされていましたが、当時の仲間たちの中で渡辺真也さんの存在は今でも大きいですね。 ――テレビを教えてもらった人というのは、やはり加地さんになるのですか? それはそうでしょうね。具体的な仕事内容を教わったというよりかは、演者さんに対するリスペクト精神とかイズム的なものですよね。 ――加地さんのすごさというのを一つ挙げるとすると、どんなところでしょうか。 一つって難しいですけど…今やすごく偉い立場(テレビ朝日役員待遇)のはずなのに、いまだに毎回の企画の展開案や細かなトークのオチまで考えたりしていて。と同時に番組の進むべき方向性とかテレビ界全体の話とかもされて、ミクロとマクロを同時に考えられる能力がすごいなと思います。 ――それはテレ朝の役員になる前から。 そうですね。失礼かもしれませんが昔から印象がほとんど変わらないし、言ってることもやってることもブレてないですよね。役職が変わると急に偉そうになる人もいますけど、そういうのが全くないですね。