日本の地で何を…。Jリーグ史上最悪の悪童外国人6人。期待されるも…。クラブを失望させてしまった男たち
FW:カイケ(ブラジル出身) 生年月日:1988年4月1日 在籍クラブ:横浜F・マリノス 在籍期間:2016年 J1通算成績:23試合4ゴール3アシスト マリノスファンにとって、カイケは思い出したくない存在かもしれない。 ブラジルの名門フラメンゴの下部組織で得点を量産していたカイケは、北欧リーグでのプレーを経て国内リーグに復帰し、2015年には古巣フラメンゴで活躍を披露していた。 その活躍を評価され、翌年に横浜F・マリノスへの加入が決まる。背番号は9番を与えられており、クラブからの期待感は大きかったといえるだろう。しかし、リーグ戦23試合でわずか4ゴールとストライカーとしては全く物足りない成績に。その上遅刻の常習犯であり、ベンチ外となった際には試合中にSNSにプライベートな内容を投稿するなど、すっかりダメ助っ人外国人となってしまった。 こうした規律違反行為の数々に対してクラブはチーム練習への参加を禁じ、カイケは事実上の構想外に。しかしマリノスは同選手と長期契約を結んでおり、2019年に契約が切れるまで手放すことができず、数々のブラジルのクラブにレンタルで移籍させることとなった。日本を去った後はカタールリーグで活躍し、現在は再び母国ブラジルでプレーしている。
FW:エジムンド(元ブラジル代表) 生年月日:1971年4月2日 在籍クラブ:東京ヴェルディ、浦和レッズ 在籍期間:2001年~2003年 J1リーグ通算成績:31試合18ゴール0アシスト 1992年にブラジル代表初出場を果たしたエジムンドは、代表やクラブでベベット、リバウド、ロマーリオなど、当時のサッカー界を彩ったスターたちと2トップを形成するような選手だった。その野性的なプレーから、同選手には「野獣」という愛称が付けられた。 しかし、その愛称はエジムンドのもう一つの性質を含むものだった。途中交代に納得できず監督に暴言を吐き、イタリアのフィオレンティーナ在籍時には、優勝争いの最中、リオのカーニバルに参加するためチームを離脱するなどやりたい放題。飲酒運転中の死亡事故も引き起こしており、破天荒の一言で片づけられない選手だ。 そんなエジムンドがJリーグにやってきたのは2001年10月のことだ。当時J2降格の危機に陥っていた東京ヴェルディにフリー移籍で加入すると、5試合で2ゴールを挙げJ1残留に貢献。翌年は2ndステージで14試合12ゴールの大活躍で実力を見せつけた。この活躍もあり、2003年には浦和レッズに当時のJリーグ最高額で移籍することになったが、当時の監督であるハンス・オフトと練習法について対立。エジムンドは反発し続け、シーズン前にも関わらずブラジルへ帰国してしまった。 同選手はその後、ヴァスコ・ダ・ガマやフルミネンセで活躍したのち、2009年に現役を引退している。