「俺、競輪選手やめるわ」妻の介護で強制引退 伴侶と仕事を一度に失った元S級レーサーの歩み
「俺、競輪選手やめるわ」 この衝撃的な言葉で始まるのは、今年5月に出版された元競輪選手、大井浩平(84期)さんが半生を振り返る著作『あたたかい花をみんな持っている』です。 著者は引退理由を次のように明かしています。 「アキが亡くなった2016年12月、時を同じくして私は競輪選手を引退した。正確には、自ら引退したわけではなく、競技規則に則った上での引退」(p.148) 妻の介護のために競輪選手というキャリアを手放した経緯、愛する配偶者を失った深い悲しみ、そしてシングルファザーとして新しい人生を歩み始める様子が、率直な語り口で描かれています。
介護と競輪選手を続けることの葛藤
大井さんは21歳のときに、2000年4月に宇都宮競輪場でデビューし、初日に初勝利を挙げました。06年9月には函館競輪場で節目の100勝を達成。昇級も果たし、08年7月に伊東温泉競輪場でS級の初勝利を挙げます。 しかし、それから成績は徐々に下がり始めました。 競輪選手には、半年ごとに下位数十名が強制的に引退させられる制度があります。大井さんは、必要な出走回数や平均得点を満たせませんでした。2016年4月27日から29日に立川競輪場で開催された「立川けいりん(FII)」最終日のA級チャレンジ選抜で6着となり、これがラストランになりました。その後は欠場が続き、17年1月におよそ16年間の現役生活を終えることになります。 この成績不振には、レースでは見えない理由がありました。33~38歳(2011~16年)にかけて、難病の妻につきっきりで介護をしていたからです。妻の亜樹子さんは難病の「ALS」(筋萎縮性側索硬化症)を抱えていました。体が次第に動かなくなる病気です。
2人が結婚したのは2011年で、約1年後にALSと診断されました。息子のしょうたろう君はまだ生後7か月で、本来であれば家族として希望に満ちたはずの時期です。大井さんは当初、現実をまったく受け入れることができませんでした。しかし、残念ながら亜樹子さんの病状は悪化してゆきます。この出来事は、競輪で勝つためだけに生きてきた大井さんにとって、人生の大きな転換点となりました。 「競輪選手を引退しよう、私はアキのために尽くす」。奇跡を信じ、ALSが治るという施設への入所を夫婦で決断しました。これは、競輪のレースに出走しないことも意味していました。亜樹子さんが亡くなる約3年前のことです。 一方で、競輪選手として、常に葛藤し続けます。 「私の本当の気持ちは何だったのか。介護をしたいのか、それとも競輪選手としてやっていきたいのか? 私は、自分の本当の気持ちを置き去りにし、介護に専念すると決意したのだった」(p.117)