「俺、競輪選手やめるわ」妻の介護で強制引退 伴侶と仕事を一度に失った元S級レーサーの歩み
介護は一人で行うには限界があります。特に、厳しい競輪の世界に身を置きながら、介護も行うのは非常に困難です。 最愛の家族の介護でもあったとしても、体力には限界があり、過剰な負荷に心は悲鳴を上げます。本書では、家族の介護に苦しむ人たちに向けて「積極的に社会のサービスを利用してほしい」と呼びかけます。魂が至高のもの、美しいものを求めていたとしても、心がそれに答えられるとは限らないのです。 「介護を受ける側は、家族に執着しやすくなりますが、執着を続けるとお互いを苦しめます。(中略)介護する側は、あまり責任を負わず、自分自身を大切にしてください。いくら体力に自信があっても必ず一人になる時間を作ってください。レスパイトや介護ヘルバーなどの社会の制度をご検討下さい」(p.139)
元競輪選手のセカンドキャリア
天職や家族、友人との関係には、いつか別れがやってきます。こうした悲しみは競輪選手に限ったものではなく、多くの人々に共通するものです。 大井さんは妻と競輪選手という仕事を一度に失った体験を「最上級の薬」と理解しました。「何のために生きているのか?」という問いには「笑うために生きている」と考えたのです。 「競輪選手を経て妻の介護、死を看取り骨身を削り妻の命に寄り添った時間があったからこそ、その傷(引用者注:少年時代から身につけてしまった心の動きの癖や言動の癖)に氣がつくことができたのでした。これらの経験を自分だけに起きたことだけに留めず、また不幸な事だったとは捉えずに、成長のための最上級の薬だったと捉えることができました」(p.6) 40代といえば、多くの人にとって大きな変化をためらう年齢かもしれません。しかし、大井さんは新たな道へ踏み出しました。
シングルファザーとして息子を育てながら、理学療法士(運動機能に障害がある人らの回復や予防を助ける国家資格)の専門学校に通い、基礎医学を学び始めました。妻が抱えていたALSについて、医学的に理解したかったのです。また、両親など大切な人たちが次々と亡くなっていく中で、病気にならなければさらに長く楽しい時間を過ごせるはずで、健康的に生きていく方法を探求したいとも考えました。こうして、国家資格を取得します。 いま、大井さんは地域の子供たちや大人たち向けの運動教室や、夫婦のコミュニケーションの大切さを伝えるお話会などを開いているそうです。人の助けになるためにその経験を共有しようとしています。また、新たなキャリアを築く中で、似たような人生の苦難を経験した、生きる支えとなる女性との出会いも描かれています。人生の中には、さまざまな救いが用意されていると感じさせるエピソードです。 『あたたかい花をみんな持っている』は、競輪選手の生活や介護の現実、愛と失意、そして生きる意味を探求する旅を描いた実話。競輪ファンだけでなく、一般の読者にも生き方の参考になる一冊です。(netkeirin編集部・木村邦彦) 【参考文献】大井浩平著『あたたかい花をみんな持っている:夫婦の笑顔が地球を救う』(My lSBN、デザインエッグ社、2024年5月6日発行)