【独自】パラトライアスロン・谷真海、現役復帰へ 大学2年生で右脚膝下切断でも諦めなかった理由
2021年の東京パラリンピック(東京大会)で日本選手団の旗手を務めたパラトライアスロン女子の谷真海さん(サントリーホールディングス)が、実戦の舞台へカムバックした。15日には、豪州・デボンポートで開催された国際大会で東京大会以来となる約2年半ぶりにレースへ復帰。完走を果たし、自身も「上出来のリスタート」と手応えを口にした。 東京大会後に第2子を出産し、その後にトレーニングを徐々に再開。働く女性でありながら、二児のママでもある谷さんがこのタイミングで復帰したのは、今夏のパリ・パラリンピック出場も視野に入れてのことだった。復帰に懸ける思いを聞いた。
「失ったものを嘆くのではなく、持っているものを生かす
3月18日。谷さんの表情は、オンライン越しでも明るく見えた。15日に豪州・デボンポートで、パリ・パラリンピックの代表選考を兼ねた国際大会に出場し、6位完走を果たして帰国した直後に取材に応じてくれた。 「レースに出て、最初は恐怖心もあったのですが、次第に周りの選手たちとゴールを目指しながら競い合う、試合独特のワクワクする感情がわいてきて、『あー、戦いの場に戻ってきたんだなあ』とすごくポジティブな気持ちになりました」 現在、42歳の谷さんは中学、高校と陸上競技を続け、早稲田大学進学後は応援部のチアリーダーとして活動した。ところが、大学2年時に右脚に骨肉腫が見つかり、膝下を切断。義足生活となった。 そんなときに再び向き合ったのが、スポーツだった。義足は重心のかけ方を間違えるだけでうまく歩くことができない。何度も壁にぶち当たったが、次第に走れるようになっていく。そして、パラリンピックと巡り会った。 「失ったものを嘆くのではなく、自分が持っているものを最大限に生かしていく」という加算の思考で、さまざまなアスリートが障がいを乗り越えて、よりベストを目指したパフォーマンスを発揮することが、パラリンピックの魅力の一つだ。
谷さんは治療の副作用によって、ウィッグ姿で行った就職活動を実らせて就職したサントリーに入社した1年目の04年、アテネ大会への初出場をかなえた。当時のパラリンピックはそこまで認知度が高くなく、有休を消化して遠征などに出向いていた。