岩堀せりとモデルの仕事「子育てもひと段落。これからは忙しいお母さんでありたいし、求められる限りずっと働いていたい」
「ViViのオーディションを受け、専属モデルになってからは目まぐるしい日々の始まりでした。ほぼ休みはなかったし、むしろ一日でも空いたら不安で仕方なかった。休み=干される!?と思っていましたね。当時一緒に働いてたまゆみん(佐田真由美)や(相沢)紗世ちゃんに『私、明日休みって言われたんだけどみんなは?』ってつねに確認していました(笑)。その世界にどっぷり浸かって生きていたからこそ、居場所を失うのが嫌だったんです。 その後、雑誌『GLAMOROUS』が創刊され、ViVi時代に比べてペースは落ち着いたものの、引き続きお仕事中心の生活。そんななか、26歳で結婚し、27歳で妊娠、28歳で出産……。ちょうど編集部から一年間表紙をお願いしたいと言われたタイミングで妊娠が発覚。そのときに、もうモデルの仕事はできないかなと覚悟しましたね。けれど、蓋をあけてみたら思いがけず編集部が撮影をしようと言ってくれて、『妊娠していても表紙ができるんだ!?』とびっくり。私自身、つわりもなかったし体調も悪くなかったから『できるのならずっとやりたいです!』って伝えて、お仕事を続けました。子どもを産んでからもありがたいことにわがままを聞いていただき、時短で働かせてもらい、毎月撮影させてもらっていましたね。本当にありがたかったです。初めての子育てで体力も気持ちも大変な部分ももちろんあったけど、働ける喜びのほうが大きかったかな」
専属モデルだった『ViVi』と『GLAMOROUS』のせりさんお気に入りの表紙。この頃は撮影が毎回刺激的で思い出深く、大切に作品を保管しているそう。
「編集部と二人三脚で働いていた『GLAMOROUS』が2013年に休刊が決まり、さあどうしたものかと。当時は、他の雑誌に出ている自分が想像できなくて、もうこのままモデルをやめてしまうのかなと思っていました。『GLAMOROUS』最後の撮影のタイミングでまゆみんと一緒になったときに、初めてInstagramの存在を聞き、もうどこの媒体にも出ないし、世の中から消えるのは不安だからインスタをやろうってアカウントを作ったのを覚えています。 けれど、ありがたいことにママモデルが活躍していた雑誌『SAKURA』に声をかけていただいて、モデルの仕事も続けることに。とはいってもそれまでの働き方とは比較にならないほどゆるいペースで、月に3~7日ほどぐらい働いていました。その後、家族で2018年にL.A.に行くことが決まり、子育て中心の生活に。いまは『otonaMUSE』を中心に単発のお仕事をいただくくらい。基本的には日本に帰国する夏休みと冬休みにまとめて撮影をしていて、過去2回ほどL.A.までスタッフさんたちにきてもらったりと、のんびりと自由に楽しく働かせてもらっています。本当にありがたいです」