大阪環状線で古い駅名標出現 専門家「1932年のもの?」
大阪環状線で古い駅名標出現 専門家「1932年のもの?」 THE PAGE大阪
JR西日本が2013年度から進めている「大阪環状線改造プロジェクト」。大阪環状線を「行ってみたい」「乗ってみたい」路線にしようというコンセプトのもと、19ある駅でも色々な取り組みが行われています。全駅で発車メロディが導入されたのもその一つで、他にもトイレのリニューアルや外壁緑化、ホームへの休憩スペース設置など、より魅力的な駅に生まれ変わりつつあります。そんな中、とある駅で改修工事中に「とんでもないもの」が出てきたと話題になっています。その「とんでもないもの」とは?
ひらがな書きで「てらだちよう」表記
その「とんでもないもの」が出てきたのは、天王寺駅のお隣、寺田町駅(大阪市天王寺区)。駅ホームの改修工事中に広告看板を外したところ、下から出てきたのは何やら古めかしい駅名標でした。ホームの板壁に直接描かれたこの駅名標、ひらがな書きは「てらだちよう」と「よ」が大きく、また「天王寺区」の「区」も口3個の旧字体と、少し見ただけでも古さが判ります。 実はこの駅名標、寺田町駅が開業した1932年(昭和7年)に描かれたのではないかと言われています。JR西日本に問い合わせたところ、同社でもいつ頃のものかは判明していないということでした。 しかし、地元・寺田町の出身で歴史学専門家の伊藤文彦さんは、開業時のものではないかという根拠を次のように話します。 ・寺田町駅付近は駅開業に伴って高架化工事が行われ、当時の構造物が今も使用 されている。 ・左書きの表記は昭和初期には広まっていた。 ・寺田町駅付近は空襲の被害を受けていない。 ・「ょ」(小文字)を「よ」(大文字)と記載していることから、政府が「現代仮名 遣い」を公布した昭和21(1946)年以前である。 ・「区」が口3つの旧字体から現在の字体になったのも、同年に公布された「当 用漢字表」によるので、それ以前である。
駅や街を見守ってきた『生き証人』
これらの情報を総合すると「この駅名標は、寺田町駅が開業した当時のものである可能性が非常に高い」というのです。実に80年以上前に描かれたこの駅名標、いつしか広告看板に覆われてしまいましたが、数十年の時を経て再び視界が明るくなった今、すっかり変わってしまった目の前の車両を見て何を思っているのでしょうか。 JR西日本にとっても「まさかの展開」となったこの駅名標、現在「寺田町駅または来春開業する京都鉄道博物館で保存できないか検討しています」とのこと。 前述の伊藤さんは「開業当時からこの場所で駅や街を見守ってきた『生き証人』。この場所で保存してこそ価値がある」と話します。 ホームのこの部分は、屋根を支える柱にも明治時代の古レールが再利用されているなど、歴史が感じられる場所。ぜひ、この雰囲気をこの場所でいつまでも残してほしいものです。 (鉄道ライター・伊原薫) ■伊原薫(いはら・かおる)大阪府生まれ。京都大学大学院・都市交通政策技術者。(一社)交通環境整備ネットワーク会員。グッズ制作やイベント企画から物書き・監修などに取り組む。都市交通政策や鉄道と地域の活性化にも携わっている。好きなものは103系、キハ30、和田岬線、北千住駅の発車メロディ。