終戦直前、米軍静岡上陸想定し迎撃「配備要図」か 元部隊幹部宅で発見 駿河区沿岸の作戦記す
太平洋戦争終戦の3日前、静岡市への米軍上陸に備えて旧陸軍の守備部隊が作ったとみられる「陣地配備要図」が2日までに、部隊幹部だった故辻村重一さん宅(同市駿河区)で見つかった。安倍川左岸の平地から市街地へ向かう敵を、久能山周辺に隠した火砲で迎え撃つ想定の作戦が記されている。同市での上陸戦の陣地配備要図は防衛省の戦史記録にも見当たらず、当時陸海軍は米軍の清水周辺への上陸を予想していたことから、静岡県内の研究者は「非常に貴重な資料。静岡側からの上陸に備えて具体的な戦い方を検討した図ではないか」とみている。 表題は「独立歩兵726大隊陣地配備要図」。1945年8月12日、「大隊長市原大尉」が作成したとあり、軍事機密と赤書きされ、解説が付記してある。 現在の静岡市駿河区中島から大谷までの平地に戦車部隊が上陸すると想定。海岸に陣地を構えて「水際で撃滅」し、敵の拠点構築を阻むと記載した。火力で勝る敵に対し「陣地を坑道式とし、偽陣地を活用して敵を分散させる」と反撃方法を記している。久能山西側の尾根に重機関銃を連ね、上陸した敵を狙う作戦も図示した。 要図を見つけた辻村重久さん(81)によると、父重一さんはインドシナなどで従軍した元大尉で29年前に亡くなった。要図の存在は家族にも伝えなかったが、重久さんは重一さんに連れられて久能山周辺を歩き、砲台の場所を聞いたことがあるという。重久さんは要図について「これほど具体的な戦い方の計画があったとは」と語った。 防衛省の戦史記録によると、独歩723~727大隊は終戦直前の7月26日に編成され、静岡―蒲原間に配置された。726大隊は駿河区南東部の担当。隣接部隊の元隊員朝原熊雄さん(98)=清水区=は「学生や古兵中心の部隊で、地元の守備が任務だったが作戦は伝えられなかった。既に武器も尽きていた」と述懐する。要図にある陣地や火砲の設置は検討段階のまま終戦したとみられる。 当時県中部を管轄していた陸軍第13方面軍の作戦計画には、米軍が首都圏攻撃と連動して清水の航空基地奪取を狙うと明記。清水港周辺一帯に作戦用の壕(ごう)が多数築かれ、一部現存している。壕の歴史を探る静岡平和資料センターの近年の調査で、市内の部隊配置を示す旧陸軍作成の「兵力配備要図」が確認されていて、今回の陣地配備要図とは地図に赤字や青字で情報を書き入れる体裁などが共通している。 県近代史研究会の会員竹内康人さん(67)によると、陣地配備要図は各部隊で作成していたが、個人の手元に残っているのは珍しい。竹内さんは旧海軍の資料から有度山周辺の壕や火砲の配置図を確認していて、今回見つかった要図について「部隊の配置や射撃の方法がより鮮明に分かる貴重な資料だ」と話した。
静岡新聞社