給料激減でも元気に仕事…”68歳、年収200万円”の「働き方の実態」
下取り価格決定のプロセスをオープンに
一方で、仕事の創意工夫は怠らない。たとえば、下取り価格決定のプロセスは担当者の暗黙知になってしまいがちだが、それを明らかにするようにした。 「どんなデータや情報を参考に決めたのかという記録をすべて残すようにしたんです。後進のスキルアップに使ってほしいと考えました。パソコンのサーバーの容量が少ないから無理だと会社には言われたんですが、私が何度もうるさく言ったので、できるようになりました」 55歳で役職定年となった。手当が減り、賞与も目減りした。そうしたなか、谷さんにも、ある時期までは出世して偉くなりたいという希望もあった。 「『可能性はいくらでもあるよ』と周りからも言われ、自分もその気になりました。でも、40代後半になると、自分の能力はこんなものだと徐々にわかってきます。そのときに考えが変わりました。上を目指すだけが仕事ではないと。仮に2週間、私が休んだら、この仕事は廻らなくなってしまう。そういう重要な役割を自分は担っているのだと思うようになりました」
「マニュアル通り」の仕事はしたくない
再雇用で同じ仕事に就いた人のなかには、言われたことをマニュアル通りにやる人もいた。谷さんはそういう仕事の仕方だけはしたくないと考えている。 「ほんとに言われたことだけをやって、何も考えないでマニュアル通りやってたらろくな仕事はできなくなると思います。そういう人もいるんです。しかも、昔、僕よりもずっと上の立場だった人が。それを見てるとなんて情けないんだと思って、ちゃんと考えてやりなさいよって。私からは言えないんですけどね。そんなことやってて、仕事つまんなくないのかなと思います」 いまと同じ働き方は70歳まで可能で、少なくともそのときまでは元気に働きたい。経済的な事情もある。現役時代には子供のための教育費など出費が多く、十分な貯蓄ができなかった。40代で購入した都内の住宅の残債も残っていたことから、退職金も住宅ローンを完済するために充当した。現在の貯蓄は1000万円弱。勤め先からの収入と年金を合わせると月におよそ30万円を超える収入になるため、現在もなお貯蓄を積み増している。ただ、体力は60代半ばを過ぎると明らかに落ちた。 「まだ両親が健在で、毎週休みの日に介護のために家に帰っています。それと私は腎臓が悪くて、定期的に通院をしています。なので、週に4日休めるのはとても助かっています。経済的にゆとりある生活をしようと思うと働けるうちは働きたいですが、そのうち体力との相談になるでしょう」 つづく「多くの人が意外と知らない、ここへきて日本経済に起きていた「大変化」の正体」では、失われた30年を経て日本経済はどう激変したのか、人手不足が何をもたらしているのか、深く掘り下げる。
坂本 貴志(リクルートワークス研究所研究員・アナリスト)