役所広司、市村正親ら輩出「舞台芸術学院」78年で幕 「コロナウイルスの影響をモロに被ってしまった」
およそ80年にわたり、演劇界に数々の俳優や演出家など多くの人材が輩出してきた専門学校「舞台芸術学院」が2年後に閉鎖されることが明らかになった。 【写真をみる】「ドラマで見たことある!」 役所広司、市村正親だけじゃない「舞台芸術学院」出身の俳優たち
卒業生には有名俳優がズラリ
戦後の喧騒が残る昭和23年、東京・池袋で舞台芸術専門課程に特化した、国内唯一の昼夜2部制の専門学校として開校。話題のテレビや映画、舞台の常連として活躍する市村正親(75)や役所広司(68)、渡辺えり(69)、濱田めぐみ(52)、大倉孝二(50)、平岩紙(44)らもここで学んだという。 学院関係者が振り返る。 「これまで、累計で1万5000人を超える卒業生を送り出してきました。それが、ここ数年は入学希望者が右肩下がりに減り続ける一方だったんです」 学院は昭和末期から平成初期に最盛期を迎えた。当時は昼と夜を合わせて、200人以上の学生でにぎわったという。 「現在の在籍者は、1年生と2年生を合わせてわずか30人ほど。来年度は新規募集を行わず、現在の1年生が卒業する再来年の3月をもって閉校することになりました」
3年続いたコロナ禍の下で……
半世紀を優に超える78年もの歴史に幕を閉じる背景には、予期せざる疫禍の影響もあった。 「全国的に美容や看護系の専門学校は、深刻な少子化や大学との熾烈(しれつ)な生徒獲得競争の影響で閉校が相次いでいます。学院はそれらの要因だけでなく、4年前に始まったコロナウイルスまん延の影響をモロに被ってしまったのです」 言うまでもなく、演劇には身体的な接触や大音声が不可欠だ。 「3年余り続いたコロナ禍の下では、演者らが互いに触れ合うことや、飛沫が飛んだりする発声がほぼ禁止の状態にありました。これでは作品が成立しませんから、ほとんどの劇団で公演数が激減した。それで演劇界を志望する若者も少なくなったんです。ようやくコロナ禍は終わりましたが、入学志望者の数は低迷が続いてきたのです」
「池袋は青春の門の入口だった」
卒業生や関係者に“舞芸(ぶげい)”の愛称で親しまれた舞台芸術学院は、そもそもどんな経緯で開校したのか。 古参演劇記者の解説。 「野尻徹という青年の死がきっかけとされています。野尻は終戦とともに復員すると、早大演劇研究会を母体に、池袋で『スタジオ・デ・ザール』という演劇拠点を開設しました」 ところが、野尻はその後、昭和23年1月に27歳で急逝。彼の父は豊島区在住の開業医で、社会運動家に多くの知己を持っていた。 「早すぎる息子の死を悼んだ父は“若者が演劇に打ち込める場を”と私財を投じ、学院を創立して自ら初代校主に就任したといいます」 学院のサイトには、卒業生として作家の五木寛之氏(91)の名前も見られる。 「実は、学費を払わない“モグリ学生”だったとか。五木さんは昭和27年に福岡から上京し、早大文学部露文科に入学した。貧乏学生だった彼は、生活費を稼ぐために池袋で住み込みで働いていたのですが、ある時、同じく苦学生だった親友に誘われて舞台芸術学院夜間部に入り込んだ。以来、モグリの学生として1年半ほど通っていたそうです」 五木氏は、公の場で当時を振り返ったことがある。 「彼の自伝的小説『青春の門』が舞台化された際、五木さんはその制作発表に出席されたのです。そこで学院に通った日々を振り返り、“池袋は僕にとって青春の門の入口だった”と懐かしんでいましたね」 閉校後の校舎は、渋谷から移転する劇団青年座が新たな拠点として利用する。
「週刊新潮」2024年9月26日号 掲載
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