叱れない教師はダメなのか? 教育現場が囚われる「毅然と叱るべし」の呪縛
日本の教育現場で根強い「叱る」という行為。その効果について、臨床心理士の村中直人氏と、元東京都千代田区立麹町中学校校長の工藤勇一氏が深く掘り下げる。果たして「叱る」ことは、子どもたちの成長に本当に必要なのだろうか? 書籍『「叱れば人は育つ」は幻想』から紹介する。 【書影】叱ることには「効果がない」のか? 『「叱れば人は育つ」は幻想』(PHP新書) ※本稿は、村中直人著『「叱れば人は育つ」は幻想』(PHP研究所)から一部を抜粋・編集したものです。
何のために「叱る」のか?
【村中】今日のテーマは「叱る」ですが、工藤先生は普段、生徒を叱りますか? 【工藤】叱りますよ。ただ、僕は頭ごなしに怒鳴りつけるような叱り方はしません。 【村中】「叱る」という言葉は多義的で、人によってその捉え方はさまざまです。だから私は拙著『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)のなかで、「叱る」ことをこう定義しました。 「言葉を用いてネガティブな感情体験を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為」。 そして、この方法で他者をコントロールせずにはいられなくなる状態を〈叱る依存〉と名づけたのです。 叱る行為は、権力構造と結びついたものです。弱い立場にある人が強い立場の人にものを申しても「叱る」とは言いません。叱るとは、権力の強い立場の人が、弱い立場の人に対して威圧的な言葉や態度で従わせようとしたり、何かを強要したりするものです。 ですから、権力構造のはっきりした集団で強い立場にある人は、とくに〈叱る依存〉に陥りやすいと考えられます。教師も、児童や生徒たちを「導きたい」「変えたい」という意識から、〈叱る依存〉に陥りがちだと捉えています。 【工藤】たしかに〈叱る依存〉になっている教員はいると思います。その理由は、日本の教育の仕組みが「叱らなきゃいけない構図」になってしまっているところに原因があるかもしれません。教員の多くが指導する方法として「叱る」以外の方法を知らない、またそういう訓練もしてきていない、ということが言えます。 【村中】ええ、そういった現状をどのように変えていけばいいのか、今日はそのあたりもいろいろ伺わせていただきたいと思っています。 【工藤】「僕も叱りますよ」と言いましたが、僕の叱り方は先ほどの村中さんの「叱る」の定義からすると、はみ出しています。というのは、相手にネガティブな感情を抱かせないこと、相手をコントロールしようとするのではなく、状況を自分で解決していくための支援をすること、この2つをモットーにしているからです。 【村中】ほう、それを「叱る」とおっしゃるわけですか? 私にとってそれは「叱る」ではないので、興味深いです。 【工藤】生徒が何かトラブルを起こしてしまったとき、教育者としてやるべきは「その体験を、生徒にとっての学びの機会に変える」ことです。「今後こういうことが起きたときはどうしたらいいのか」を自分で考えられるようにしてやること、そのための助言や手助けをしてやることです。 どう行動したらいいかを自分で判断できるようにして、よりよく生きていけるようにするための支援をしてやること。それが教師の役割です。 ですから、僕のなかでの「叱る」とは、大声で怒鳴ることでも、正義を振りかざして不適切行為をなじることでもない。ましてや脅したりすることでもないのです。 【村中】聞けば聞くほどその対応は私には「叱る」ではないように感じます。工藤先生の「叱る」は私の定義よりもかなり幅広く捉えておられるように思いました。