叱れない教師はダメなのか? 教育現場が囚われる「毅然と叱るべし」の呪縛
「叱らないと、叱られてしまう」
【村中】先生方が簡単には変わらなかったということもそうなのですが、日本の社会には「叱ることが最良の方法だ」という思い込みというか、妙な過信のようなものが根強くあるような気が私はしています。 たとえば、子どもが社会的に好ましくない行動をしてしまったとき、「あの親はどうして叱らないのか」「甘やかすから、あんなふうに育つんだ」「きちんと叱らないのは躾の放棄だ」などといって親を咎める声が上がります。 学校で何か問題行動を起こす生徒が出たときも、教師に対して「叱れないような教師はダメだ」とか「叱らないから子どもから舐められるんだ」といった論調の発言が出ます。 つまり、日本では「叱らないと、叱られてしまう」んですよね。これらはいずれも、「叱ることが最良の方法」という思い込みがあるから起きることだと思うのです。叱ることは実はそんなに効果的なやり方ではなくて、むしろ副作用のほうが大きいのに、世の中にはなぜか誤解がはびこっていると思っています。 【工藤】とくに教育現場は顕著ですよ。「教師たる者、毅然とした態度で叱るべし」という考え方が染みついていますから。そこに論理性はなく、ただ日本の伝統的な教えであるかのように信じられています。 【村中】神経科学的な見地からも、心理学的見地からも、心理的安全性が確保されない状況において何かを強要しても有効な学びにならないことがわかってきています。にもかかわらず、教育現場の一線にいる先生たちが、「毅然と叱るべし」の呪縛から逃れられないんですね。 【工藤】村中さんがいまおっしゃった「叱らないと、叱られてしまう」という意識もあるのだと思います。 たとえば、自分が担任を務めるクラスでトラブルが起きると、教員は校長室に報告に来て「校長、申し訳ありません」と謝るのです。「生徒がやったことでしょ、あなたが僕に謝るようなことではないよね」と言っても、クラスに起きることの責任はすべて自分が負っていて、自分の管理不行き届きで起きてしまったかのように捉えているのです。 だから、何かをしてしまった子どもを強く叱るし、トラブルが起きないようにしなくてはと思って、クラスの管理を強めようとします。 【村中】はい、わかります。責任を強く感じるからこそ、トラブルを起こしたくないという意識が強くなり、担任の先生の権力が強化されてしまいやすいんですよね。 【工藤】僕が固定担任制を廃止したのには、そういう仕組み、構造を崩したかったということもあります。 【村中】やはり、「叱る」ことへの意識改革が必要ですね。
村中直人(臨床心理士),工藤勇一(元東京都千代田区立麹町中学校校長)