中村玉緒、ボケの才能発掘したのは明石家さんま「出会いは一生涯の思い出」
1度は流れたさんまとの共演
そんな玉緒といえば、バラエティー番組での活躍も広く知られているが、最初は戸惑いもあったという。 「ずっと女優しかしてこなかったので、バラエティーのお話を初めて頂いたときはすごく緊張しました。一番驚いたのは、ほとんど台本がないこと。私は映画でも、ドラマでも台本がボロボロになるまでしっかりと頭に入れて撮影に臨んでいたので不安もありましたし、『バラエティーは台本を覚えるかわりに前の日に何をしたらいいのかな?』と色々と悩みました」 今や“名コンビ”として知られるさんまとの出会いは、24年ほど前のことだ。 「あの頃は主人が色々な問題を起こして、私もテレビには出演せず、舞台やクラブで歌謡ショーをやったりしていたのですが、ある時に『さんまのまんま』のゲスト出演のオファーを頂いて。ただ、疲労がたたったのか、おたふく風邪をひいて顔が腫れてしまって、『こんな顔では出演できない』と1度はお断りしたんです。でも、さんまさんは勘が働かれたのか、何故か『1カ月後でも2カ月後でもいいから出てください』とおっしゃってくださったんです」
忘れられない絆創膏のエピソード
病気のために1度は話が流れたものの、こうしてさんまとの運命の出会いを果たすことになるが、初共演は衝撃の連続だったという。 「事前に『台本を作ってください』とお願いして番組に出させて頂いたのですが、さんまさんが途中から『お母さん、台本なんていりまへん! そうでっしゃろ?』って、全然台本通りにいかないんですよ。私が『あきまへん』って言っても、さんまさんは『だから、いらないって言うてまんがな!』と途中から口喧嘩みたいになって」 そんな中でも、とくに印象深いのが絆創膏(ばんそうこう)のエピソードだとか。 「当時は、(夫の事業の失敗で)借金で経済的にも大変な時期で、ほとんどの指輪を(債権者の方のもとに)出しちゃっていて。唯一手元に残っていた母からもらって私が実家から持って来た指輪をして番組に出させて頂いたのですが、ちょっと怪我をして別の指に絆創膏をしていたんです。でも、テレビに絆創膏が映ったらまずいと思って、番組の収録中はちょくちょく隠していたのですが、そうしたらさんまさんが『さっきから気になっていたんですけど、指輪2つやと思ったら1つや!』とツッコまれて。それで私が慌てながらもつい笑ってしまったら、その笑い声がウケて……」と懐かしそうに振り返る。 この番組での2人の掛け合いは大きな反響を呼び、当時の女優としての活動で定着しつつあった健気な母親役のイメージだけではない、新たな一面をさんまによって見出された玉緒のもとには、バラエティー番組からのオファーが急増。 その後もさんまとは、「明石家多国籍軍」や「さんまのSUPERからくりTV」など数多くの番組で共演し、毎年正月にTBS系で放送される「さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル」でタッグを組むなど、20年の時を超えた今もなお2人に関係は続いている。 「あの方は、私のことを“お母さん”と呼んでくださるんですが、それもとてもうれしくて。私にとって、さんまさんとの出会いは一生涯忘れられない思い出です」 一時期は莫大な借金を抱えながらも、浮き沈みの激しい芸能界において女優として、タレントとして第一線で活躍を続けて、現在も周囲に元気を与え続ける玉緒。 歳を重ねてもエネルギッシュに輝き続ける秘訣は、キャリアや才能に甘んじることなく、常に人との縁、周囲への感謝の気持ちを大切にするその生き方にあるのかもしれない。 (三杉武)