【ラグビー】30歳からの旅立ち。総合格闘技、修斗新人王・前ホンダBK具智允
1月28日、東京・竹芝。東京湾を客船が出港する竹芝桟橋に近いイベント会場で総合格闘技の修斗がプロフェッショナル大会を開催した。第1部では2023年度の新人王決定戦もおこなわれた。ライト級決勝(体重70.3キロ以下)のリング。セカンドキャリアの一つに総合格闘技を選んだラガーマンがいた。具智允(グ・ジユン)、31歳、韓国出身(日本国籍取得済)。コロナ禍のもと最後の年を迎えたトップリーグ、2021年。シーズンを終えてホンダヒートを退団したSO/CTBのバックスだった。 リングネーム、グ・ジユン(以下ジユン)は兵庫県神戸市にある修斗GYM神戸に所属する。身長176センチ、この日は69.9キロで臨んだ。対戦者は身長185センチ、70.1キロの嵯峨“ゴーレム”健史(広島市・TKエスペランサ所属、29歳)。5分2ラウンドの決勝戦。パンチで相手を倒したいジユンと絡んでグラウンドへ引きずり込み寝技勝負を狙う嵯峨。互角の戦いは2ラウンド、最後にジユンが嵯峨をグラウンドに倒すテイクダウンを奪った。上にのしかかりパンチを浴びせ優位に。判定はレフリー3人がすべて2点差(20-18)、赤コーナー、ジユンの右手が上がった。 「勝てて良かった」。ジユンは新人王獲得を喜ぶ。試合は「遠くから距離を置いてパンチやキックの打撃で攻める」プランで臨んだ。「(詰められても)僕は倒れなかったし最後はタックルが効いたかな」とここは楕円球の世界で身に着けた技術がいきた。 1992年5月1日、韓国ソウル市で生まれた。父は韓国そしてアジア最強プロップといわれた具東春さん(グ・トンチュン)。延世大時代から韓国代表、韓国電力、そして日本へわたり本田技研工業鈴鹿でもプレーした。2歳下の弟は智元(ジウォン)、ジユンは父の方針もあり中学3年生で弟と一緒にニュージーランドへ留学した。ウェリントンカレッジでラグビーを始める。高校は大分県の日本文理高校、拓殖大へ進学した。2016年春に大学を卒業し本田技研工業へ社員として入社した。鈴鹿製作所に勤務しながらホンダヒートの一員となりトップリーグのステージを目指した。同じ道をジウォンが追いかけ、やがて日本代表へ昇りつめた。 「性格はジユンの方が弟よりも気が強い、激しいプレーをする」(父・東春氏)。しかしホンダでは出番がチームの戦い方、チーム内競争もあり少なかった。2021年シーズンは公式戦出場なしで終えた。シーズン後、2019年ワールドカップ日本大会でスクラムを魅せ人気を得た弟はリーグワン元年、コベルコ神戸スティーラーズへ移籍。ジユンはチームから残留の話ももらっていたが退部、鈴鹿で社員生活の道もあったが退社した。 前から関心があった格闘技を選んだ。「お父さんが好きでテレビで見ていた」影響という。神戸に移籍した弟と住んでいる。神戸のジムに2021年初めに入門。パンチやキックの寝技、関節技、締め技を持つ修斗は新日本プロレスで初代タイガーマスクとして、その空中技で世界観を変えた佐山聡氏が創案した格闘技が根底にある。 「最初はパンチがまったくできなかった。タックルもラグビーと違います。ラグビーはタックルして倒した後にボールを奪うために離す。格闘技は、相手に次の技を仕掛けるためにそこから蛇のようにまとわりつく。だからタックルされるのは嫌ですね」 ジムで週4日は、夜3時間、練習を積み、半年間で技を身につけることできるようになった。体も戦う身体に。ホンダ時代は体重が89キロあった。激しいぶつかり合いに耐える筋肉で固めた身体、ラグビーをやめた後に数キロ落ちた。修斗で選んだクラスは「ライト級」、70.3キロが制限だ。10数キロの差がある。「ライト級の選手は身長が185センチ前後あります。僕の身長でぎりぎり。(一つ下の)フェザー級は厳しい(65.8キロ以下)」。当然、試合に向けて減量が待つ。ふだんは80キロ。試合前に75キロまで落とし計量直前に「汗を大量に流す=水抜き」で70.3キロ以下へたどり着くという。 アマチュアで5試合戦い4勝(うち1KO)1敗だった。そしてプロライセンスを取得。30歳になっていた、プロデビュー戦は2023年3月26日、新潟でおこなわれた畑田智洋(ピロクテテス新潟所属)戦。1ラウンドわずか15秒、電撃ノックアウトで飾った。「左ジャブをあてて左右のフックへ。最後は右アッパーで沈めました」。6月、第2戦は判定勝利。キックはラグビー時代にボールを蹴っていたスキルが役立っている。「打撃主体」で戦う。