球界に”衝撃”…まさかの退団を経験した大物(4)”引退拒否”で同一リーグ移籍へ
球界に入る者がいれば、去る者もいる。毎年10月にはドラフト会議が開催され、新たにプロ入りの切符を掴むが、一部の現役選手は戦力外通告などで厳しい現実が叩きつけられる。過去には、まさかの形でチームを退団した選手も数多く存在。そこで今回は、戦力外通告または自由契約を経験した大物選手を紹介する。
石井琢朗
出身:栃木県 投打:右投左打 身長/体重:174cm/78kg 生年月日:1970年8月25日 ドラフト:1988年ドラフト外 長きにわたって横浜ベイスターズを支えた石井琢朗の戦力外通告は、多くのベイスターズファンに悲しみを与えた出来事だった。 1988年にドラフト外で入団した石井は、1993年からレギュラーの座を掴む。安定したバッティング技術と高い守備力に加え、俊足を兼ね備えた野手として、93年から95年までゴールデングラブを獲得した。また、最多安打や最多盗塁のタイトルも獲得し、不動の1番ショートとして試合に出続けた。 1993年から2006年まで規定打席に到達した石井だが、2007年に出場機会を減らすと、2008年は98試合の出場に留まる。さらに、若返りを図るチーム方針も拍車をかけ、石井は球団から引退勧告を受けた。「功労者に対する扱いとしていかがなものか」という声もあった中、石井は引退勧告を拒否して自由契約に。 その石井に、広島東洋カープが救いの手を差し伸べた。石井を戦力として計算したカープは2008年の11月に獲得を発表。2010年は規定打席未達ながら打率3割を超えるなど、紛れもなく戦力として活躍した。
ベースボールチャンネル編集部