NYを襲った悲劇――9.11崩落ビルから無我夢中で離れると、「さっきまで隣にいた夫、ピート・ハミルの姿がない!」
路上に脱ぎ捨てられた革靴、ハイヒール、スニーカー…
その時、わたしはまだベッドの中にいてドカーンと響く衝撃音で飛び起きた。トライベッカのロフトにトラックでもぶつかったかと思うほどの異常を感じた。 「トレードセンターにジェット機がぶつかった! いま南タワーの爆発を見たんだ。テロにちがいない」 現場に駆けつけるため、ニューヨーク市警発行の「ワーキング・プレス」パスを取りに帰ってきたピートはこう叫んだ。 「待って、わたしも一緒に行くから」 急いで着替えてスニーカーを履き、野球帽をかぶって、メモ帳をカバンに入れた。 表に出ると昨晩の雨が上がって、雲一つない見事な快晴だった。ブロードウエイに出ると、たくさんの勤め人がトレードセンターを背に北方向へ向かって歩いていた。歩道にはたくさんの革靴やハイヒール、スニーカーなどが転がっていた。靴を脱ぎ捨てて逃げた人たちのものだろう。 トレードセンターはわたしたちのアパートから13ブロック(1ブロックは約70~80メートル南に位置する。ピートと一緒に勤め人とは逆に南へ向かって足早に歩き、3ブロック下がったところで、煙を吐くツインタワーをわたしは初めて目にした。 さらに5ブロック下がってチェンバーズ・ストリートに着くと、オレンジ色の巨大な炎を噴出させる両タワーがはっきり見えた。さらに南下すると警官の数が多くなり、ブルーのバリケードをトラックから下ろしたり、急行した緊急車両へ指示を与えている。
タワーから飛び降りる人々の影
トレードセンターの北側に位置するヴェッシー・ストリートへ右折しようとしたところで警官に制止されたが、ピートが市警の「ワーキング・プレス」を見せるとすぐに通してくれた。そのままチャーチ・ストリートに近づくと全貌が見渡せた。 鉛色の猛烈な煙が真っ青な秋空を覆い、東のブルックリン方向へ流れていた。ツインタワーのスチール製外壁が朝日を浴びて銀色に輝き、南タワーでは真中より少し上の階、北タワーではそれより上階近くに大きな黒い穴が空いている。穴の周りは焼けただれ、どす黒い傷口を曝け出している。そこから黒い煙が勢いよく上がっていた。 ヴェッシー・ストリートにはジェット機の車輪の中核部分と思われる丸い鉄が転がっていた。その大きさに改めて息を呑む。歩道には灰をかぶった靴が散らばり、朝食用に買ったパンの入った紙袋、書類の詰まった仕事鞄、その近くにすでに変色した血痕がいくつもあった。 北タワーの、あんぐり空いた燃える窓から小さな人影が飛び降りていった。白いシャツを着た男性と思われる。 「これで14人目だ。なんて気の毒な!」 隣にいた警官が呟いた。 いまこの瞬間にも、あの高いタワー上階から地上を見つめている人たちが何人いるのだろう。彼らの気持ちを思うと神に祈りたいほどだった。わたしの横を上半身裸のビジネスマンが放心したようにブロードウエイ方向へ歩いていった。 このとき、隣にいたふたりの警官のひとりが携帯電話から耳を離すと、相棒に向かってこう呟いた。 「信じられるかい。ペンタゴンにもジェット機が突っ込んだって、母さんがいってるぜ」 もうひとりの警官はこう唸った。 「ハイジャックされた別の航空機がまだどこにいるかわからないって……」