まさか…北の富士が大鵬との優勝を決する一戦で食った「意外な決まり手」と、53年前に日本中が仰天した「ライバルの急死」
教室がどよめいた「玉の海」の死
私は当時、中学2年だったがおそらく昼のニュースで知ったのであろう担任の教師が、午後の授業の始まるとき、横綱玉の海が死にましたと教えてくれた。前年の三島由紀夫の事件は学校の誰も何も教えてくれなかったが(家に帰ったとたん、あんた、三島由紀夫がケッサクなことしはったで、と母が声をかけてくるまで何も知らなかった)、玉の海の死で教室にどよめきが走った。一言で理解した生徒たちが、驚く声をあげているなか、理解していない生徒たちが、なになに、と聞きかえして、騒然となった。 享年27。 まさにこれからというところの玉の海の死であった。 横綱が27歳で現役引退することは、ほぼない。 それまでの横綱ではもっとも若い引退(死)であった。 徳川時代の横綱は、なんだか年取った相撲取りがなるもの、というイメージがある。一種の名誉職であり、あくまで最高位は大関だった。実質最初の横綱である谷風は三十代後半になってから横綱免許が受けている。同時に昇進した小野川も三十を越えていた。230年前の三十歳はいまとはかなり違う。 27歳で死んだ玉の海より若く横綱を辞めたのは、昭和62年年末に問題を起こして廃業した双羽黒だけである。双羽黒はそのとき24歳。おもいかえすといろいろもったいない出来事であった。 昔は力士は長生きできない、と言われていた。
53年の隔たり
玉の海は27歳、柏戸が亡くなったのは58歳である。大鵬が72歳、琴桜(先代)は66歳、輪島70歳、北の湖62歳。 北の富士と同時代の横綱はそれぐらいだ。 北の富士と同時期に大関であった豊山勝男は87歳で存命、また清国静雄も83歳で存命である。現代では長命の相撲取りもいる。 北の富士のNHK中継での解説は、軽やかな気配で大好きだった。 けっきょく何を言っていようと、その人が発する「気配と音」をいいなと感じたら、その解説はとても好ましいものになっていく。ファンの多い人だった。 玉の海が亡くなって53年、北の富士は82歳で亡くなった。 二人のあいだに53年もの隔たりが出来ていたのかとおもうと、ちょっと胸を突かれる。 【さらに読む】『先代の琴櫻はなぜ「突然変異」の連続優勝&横綱昇進を果たせたのか…今も忘れない「昭和48年1月」最大の謎』
堀井 憲一郎(コラムニスト)