現代アートが1980年代に「変わった」のはなぜか、「ビフォー1980」と「アフター1980」の違いとは
哲学者のジャン・ボードリヤールは、1981年の著作『シミュラークルとシミュレーション』において、人々がそういう虚構感に苛まれるのは世界がシミュラークルによってかたちづくられるようになったからだと主張しました。ボードリヤールのいう「シミュラークル」とは、「オリジナルなきコピー」とでもいう概念です。 本来コピーにはオリジナルがあるはずです。オリジナルという〝本物〟があって初めて、コピーという〝複製〟が生まれるはずなのですが、ボードリヤールによれば、オリジナルなくしてコピーだけが突然出現するという奇妙なことが起こっており、それを彼はシミュラークルと呼びました。そして、シミュラークルの飽和によって虚構が現実に先行するようになっており、現実の世界が無意味化していると説きました。
ボードリヤールがシミュラークルの典型として例示したのがディズニーランドでした。ディズニーランドにあるあらゆるものはすべてフィクションです。何らかの現実から派生したものではありません。 にもかかわらず、ディズニーランドは確固として存在し、それどころか、「夢のある世界とはどういうものか」とか「冒険や友情とはどういうものか」などを訪れた人々=リアルな人々に伝え、人々はそれに感動し納得しています。 ■アフター1980の幕開けにふさわしいアート
つまり、ディズニーランドで起こっていることは「コピーがオリジナルを規定する」という逆転現象で、真実性と虚構性が倒錯した関係になっているのです(ことわざ的にいえば、まさに「嘘から出たまこと」です)。 それは「誰でもあって、誰でもない」という真実性と虚構性が交錯し、虚構性が幅を利かせたシャーマンの《アンタイトルド・フィルム・スチル》にも通じるもので、シャーマンのアートはシミュレーショニズムと呼ばれるようになります。
シミュレーショニズムは、それまでのアートが作品の唯一絶対性や真実性を根拠としてきたことに対する問い直しを迫り、コピーや模倣、盗用といった手法による作品の可能性をさまざまに提示し、アートのイデオロギーの根本的な見直しを迫りました。と同時に、いまから振り返れば、シミュレーショニズムはまさにアフター1980の幕開けにふさわしいアートのかたちでした。
藤田 令伊 :鑑賞ファシリテーター