下重暁子 清少納言の「短く言い切るセンス」と「物事を直截に表現する力」に圧倒されて…『枕草子』は<俳句そのもの>
◆清少納言は短歌が苦手だった? 今の時代、エッセイと一般的に呼ばれるものは、随想でもあり評論でもあり、様々なジャンルを含んではいるが、「枕草子」がより多く著者の思いを率直に投げかけている所に私は共感を覚えている。 俳句は一つの絵を切り取るものであるのに比べ、短歌はその絵に対する解説が必要になる。五七五の俳句なら、言い切って終わりとなるものが、そのあとに七七と付く短歌となると、五七五でさし出した素材に対する感想を加えなければならなくなる。 私自身、長らく俳句で遊んできたが、その後に七七が必要となると素材に対する感想を言わなければならなくなるのが面倒なのだ。 無理やり悲しいだの、嬉しいだの付け加えたものは決していい作品にはならない。 清少納言は和歌が得意ではなかったのではないか、というのは彼女の和歌はあまり残っていないからだ。 あれだけの才女だから、いくらでも作れたし、作ったであろうけれど、彼女自身、あの和歌ののどかな調子に身を委ねることを快しとしなかったかもしれない。漢詩、漢文から文学に入ったことと決して無縁ではない気がする。 ※本稿は『ひとりになったら、ひとりにふさわしく 私の清少納言考』(草思社)の一部を再編集したものです。
下重暁子
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