下重暁子 清少納言の「短く言い切るセンス」と「物事を直截に表現する力」に圧倒されて…『枕草子』は<俳句そのもの>
◆「奥の細道」は発句集だった 数人から十人、それ以上のこともあって連句が作られ、その中の最初の一句、発句と呼ばれるものを中心人物の宗匠が詠む。 その五七五、だけを選んで作られた発句集が芭蕉の「奥の細道」であり、「笈(おい)の小文」や「猿簑(みの)」だったのである。 そして江戸時代に全盛をきわめ、明治になってから、正岡子規が五七五だけで独立した文芸として「俳句」と名付けたのである。 ここに至って平安朝から日本の文芸の中心であった和歌が基本となって、短歌と俳句と川柳に分かれた。生みの親は同じでも、それぞれが短詩型の独立した文芸になってみると、見事に違うものになった。 清少納言の文体はもともと短詩型の趣があったが、さらに言えば短歌より俳句に近かった気がするのだ。
◆短く言い切るリズム それは多分に清少納言の性格や何を「をかし」と見るかによって自然に方向付けられたと思う。 短く言い切るリズム感が俳句的であり、物事を直截に表現する力に秀れたものがある。 情景を切り取る力が絵画的であり、いらない言葉を削ってできるだけ少ない言葉で言いたいことを表現しようとする。 その最たるものが、体言止めで、説明を省くこと。 『海は、水(うみ)、與謝(よさ)の海、川口(かはくち)のうみ。』 それで充分に意味は通じるし一種のテンポができてくる。 「いとをかし」といった形容詞や副詞だけで何が言いたいかがわかる。彼女がさし出すものは素材だけで、あとは読む人、見る人に任せる。 読む人の能力を試しているとも言える。その意味では意地の悪い文学と言ってもいい。 試された私達がそれをどう読み取るかは、私達自身に任されるのだが、あくまでも彼女が書いているのは、彼女の目を通した美しいものであり、醜いものであり、彼女自身をさらけ出して見せているのである。「源氏物語」のようなフィクションではなく、素の清少納言に触れられることが私には嬉しい。
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