なぜ「共感」は、生きづらさを生んでしまうのか...「伝える」よりはるかに強い「伝わる」の魔法の力
悩んだら、「いろんな生き物の意見」を聞けばいい
──悩むのは新しいことに挑戦している証拠だと聞くと、救われる面もあります。とはいえ、深い悩みを抱えたときには、どうするとよいのでしょうか。 どんなことでも「広く意見を募る」ほうが視野は広がりますよね。ある種の集合知によって、より多様な意見に耳を傾けたほうが、より賢明な選択ができる。その意味で、なにごとも人間の声だけを聞くのはリスクが大きいと思いますね。 人間は、地上を二本足で立って歩いている、とても特殊な生き物です。この時点で他の動物と比べても、すごく変な世界を見ているわけです。人間の意見だけを聞いていたら、偏るのは当然です。 自分が本当は何をしたいのかを知りたいときは、自分の体の声を聞くよりも、自分の体以外の声がたくさん聞こえる場所に行ってみることがおすすめです。川が流れていたり、鳥が鳴いていたりする場所に。 たとえば「いまの仕事、辞めたほうがいいのかな」と悩んでいるときに、自分の体の声だけ聞こうとしても、出口は見えにくい。むしろ、いろんな生き物の意見が飛び交う中に身を置いてみるくらいのほうがいい。そうするとそもそも、「仕事を辞めたほうがいいのか」という問いの立て方自体が間違っていた、なんて気づけることもあるかもしれない。 ■探究とは、「掴めないものがある」ことを示すこと ──最後に、これから森田さんが探究を深めたいテーマは何ですか。 無限の概念は面白いもので、「無限」そのものを掴むことはできなくて、むしろ「無限を掴めていない」という仕方でしか無限は表現できない。たとえば、「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11‥‥‥」とずっと数えていく。どんな数え方でもいいのですが、こうしてどこまで行っても「数え尽くせない」ことを通して、僕たちは無限を感じることができる。探究とは僕にとって、無限に向かっていく営みです。考え尽くせない、ということを考えるためには、ひたすらどこまでも考え続けていくしかない。 重要なことは、無限に向かっているということです。自力では包摂できない、手のひらに収められない何かの中に自分がいる。それを感じ続けていることが「ワンダー」です。探究は、何かを掴むのではなく、「掴めないものが本当にある」ことを示す。その意味で探究は、永遠に未完の営みです。だからこそ、だれかの歩んだ道を、読み継ぎ、書き継いでいくことができる。 これからも終わらない探究を、続けていきたいと思います。 <森田真生(もりた まさお)> 1985年生まれ。独立研究者。京都を拠点に研究・執筆の傍ら、国内外で様々なトークライブを行っている。著書『数学する身体』で第15回小林秀雄賞受賞、『計算する生命』で第10回河合隼雄学芸賞受賞、ほかに『偶然の散歩』『僕たちはどう生きるのか』『数学の贈り物』絵本『アリになった数学者』などがある。 <flier編集部> 本の要約サービス「flier(フライヤー)」は、「書店に並ぶ本の数が多すぎて、何を読めば良いか分からない」「立ち読みをしたり、書評を読んだりしただけでは、どんな内容の本なのか十分につかめない」というビジネスパーソンの悩みに答え、ビジネス書の新刊や話題のベストセラー、名著の要約を1冊10分で読める形で提供しているサービスです。 通勤時や休憩時間といったスキマ時間を有効活用し、効率良くビジネスのヒントやスキル、教養を身につけたいビジネスパーソンに利用されており、社員教育の一環として法人契約する企業も増えています。 このほか、オンライン読書コミュニティ「flier book labo」の運営など、フライヤーはビジネスパーソンの学びを応援しています。