坂口健太郎がいつも健やかな理由「悩んだら距離を置いてみる」
対人関係も、自分の悩みも、重要なのは距離感
心臓移植によって、自分の中にもう一人の記憶を持つようになった成瀬。自分の中に別の誰かがいる、という意味では役を演じる俳優も似たところがあるのかもしれない。 「確かに。考えたこともなかったな。でも、そこで言うと僕は役が抜けるのがめちゃくちゃ早いんですよ。なんだったら、その日の役も寝たらすぐなくなるくらいで。何年か前に同じ期間に作品がいくつか重なったことがあって。午前中はこの役で、午後は別の作品の違う役、みたいな状況が続いたんですね。そこに対応しようと思ったら、役を残す余裕がなかった。それに慣れたせいなのか、あるいはもともと切り替えが得意だったからかわからないですけど、役が残ることがあまりない。新陳代謝のスピードが早いんです。もちろんカメラが回ったら役になりますけど、なんならその直前まではわりと自分でいることが多いかもしれないです」 「代謝」という言葉を坂口はよく使う。たとえば、劇中ではコーヒーがキーアイテムとなっている。コーヒーのように自分をリラックスさせているものは何かと聞くと、「僕は普段からあんまりストレスが溜まることがない」と前置きを入れた上で、こんな話をしてくれた。 「たぶんストレスの代謝がいいんです。その代謝を上げてくれているのが、人との会話。誰かとご飯を食べながら、なんでもない話をしているうちに、気づいたら胸に生えていたチクチクが溶けている。だから僕は人と会ってる時間が好きなんだろうなと思います」 自らのストレスで自家中毒を起こさない。坂口健太郎がいつも朗らかな空気をまとっているのは、ガス抜きの方法をちゃんと身につけているから。必然的に、坂口の周りは時の流れがちょっと穏やかだ。でもそれも、ちょっとした空気の澱みに敏感な坂口の気質によるところが大きい。 「やっぱり現場ってしんどいことも多いから、僕は現場で働く人たちにできるだけ楽しみを見つけながら働いてほしいなと思っているんですね。だからちょっと摩擦が起きてるなと感じるところを見つけたら、あえてちょっとバカなふりをするじゃないですけど、みんなが近寄りがたいよねと線を引いてるところに、まるで知らない顔をしてポンッて入っちゃう。それで、ちょっとでも空気が良くなればいいなって。特に僕もキャリアを積んで、現場での自分の声というものが強くなっているのを感じているからこそ、そういう影響力をプラスの方で活用していきたいなって心がけていますね」 坂口の美徳は、こうした明るさがまるで押しつけがましくないところだ。自己愛の強さは自他共に認めるところだが、決してナルシズムは感じないし、人を疲れさせるような過剰なポジティブ信仰もない。他者への尊重が、坂口のマインドにある。 「それは僕があきらめが早いからかもしれない。たとえばすごく悩んでいる人がいたとして、共感はできても、その人の悩みを完全に理解することは無理。だから、僕から『こうしたほうがいいんじゃない?』とも言わないし、言うことをあきらめているところはありますね」 つまり、距離感のとり方が絶妙なのだ。程よい車間距離をとり、近視眼的にならない。執着とも、依存とも、勝手な期待とも遠い場所から、坂口は優しい眼差しで他者を見つめている。 「悩んでいる人って、どうしても視界が狭くなって、頭を抱えている問題に近づきすぎてしまう。そういうときに僕みたいな人間が外から『なんでもいいんじゃない?』というスタンスで声をかけることができたら、その人もふっと我に返るというか、悩みと距離を置ける気がするんです。そういう声かけができる人間であれたらいいなと思うし、そんなふうに人と関わっていけるのが僕の理想でもあります」 決して他者の悩みを軽視しているわけではない。むしろその逆。みんなそれぞれ苦しいことがあるとわかっているから、息をつける場所をつくりたいと願っている。彼が健やかなのは、行き場のないモヤモヤとの上手な付き合い方を、ちゃんと心得ているからだ。 「僕もしんどいなと思うことはあるし、ミスすることもあります。そういうのって、そのときはすごく大変な悩みでも、時間が空くと大したことなかったりするんですよね。実際、5年前に悩んでいたことを、今も悩み続けていることってあんまりない。だから、悩んだときはその物事とちょっと距離を置いてみる。距離が離れると、つっかえ棒がパタンと落ちるように、胸につかえていたものが軽くなることってあると思います」