出生前診断で障害が判明 〝命を選択する〟葛藤、出産を選んだ母 #令和の子 #令和の親
▽話せない子に願う「いつか母さんと呼んで」
2010年春、久美さんを出産。親友からは「これから大変だ。わざわざ苦労を抱え込まなくてもいいのに」と心配されたという。 かつて取材した際、川井さんは就学前の子どもたちを見つめながら「いつか『母さん』と呼んでほしい。『かあ』でもいい」と、切実な思いを話してくれた。2人とも重い知的障害で、言葉が話せないからだ。兄妹はそれでも仲が良く、川井さんは「妹が泣くと、兄が手を差し伸べるような仕草をして落ちつかせる」と教えてくれた。 「親も友達も、私に『苦労ばかりして』と言う。確かに大変だし、心配もいっぱいあるけど、苦労と感じたことはない。子どもたちは神様がよこしてくれたんだから、笑って、頑張って、育てる」。そう意気込んでいた。
▽仲良くしてくれた地域の子どもたち
それから10年あまりが経過した2024年。川井さんに「その後」について改めて取材させてもらった。「あの時は肩に力が入っていたのですが、今は自然に子どもたちと向き合おうと思っています」。川井さんは笑顔で、子ども2人の成長と当時の決断について、思うことを話してくれた。 隆也さんは人数が多い場所が苦手だったため、小学校入学時から特別支援学校に通った。今は高等部。少しずつだが、身の回りのことができるようになってきているという。来年には卒業し、障害福祉サービス事業所に通う予定だ。 久美さんは「地域の子どもたちと一緒に育ってほしい」との願いから地元の小学校に入学させた。話せない久美さんにはハードルが高かったが、1年近く前から学校側と何度も相談を重ね、特別支援学級に受け入れられたという。川井さんは「子どもたちには、本当に仲良くしてもらった」とうれしそうに話す。 4年生から学校のカリキュラムが難しくなり、久美さんは特別支援学校に編入したが、その後も双方の学校の先生たちが話し合って、以前の地元の小学校と年数回、交流する機会をつくってくれた。
▽支えてくれた同級生やママ友、時にはつらい思いも
川井さんには強く思い出に残っていることがある。久美さんは小学4年生の秋、久しぶりに以前の学校を訪れた。川井さんも付き添っていたが、久美さんは同級生との再会に興奮してしまい、授業で思わず大きな声を上げてしまったという。そのとき、隣に座った女の子が自分の手を久美さんの手の上に重ね、優しくトントンとしてくれた。久美さんはそれで落ちつき、静かになった。 「なにか言葉をかけたわけでも、強く言い聞かせたわけでもない。手のぬくもりと、寄り添ってくれる心が伝わってきたんだと思う」と振り返る。 もちろん、2人の子育てはうれしかったことばかりではなく、大変なこともあった。自由に動き回る子どもたち。夫が休みでなければきょうだい2人を一緒に連れ出せない。家族での泊まりがけの旅行も難しい。川井さんは「一度、行ってみたい」と、しみじみと話す。地元の小学校でも全てがうまくいったわけではなく、久美さんができないことを一つ一つ先生に厳しく指摘され、つらい思いをしたこともある。久美さんが課題にぶつかるたびに、学校側と話し合いを重ねた。 それでも、支えになったのは、障害がある子どもがいるママ友たち。困り事を互いに相談できたほか、時には子育てに行き詰まって悩んでいる川井さんを察して、子どもを預けられるように手配してくれた上で、地域のお祭りに誘ってくれたこともある。「共感してくれるだけでも助かったが、アドバイスもくれて、話をしているうちに自分の気持ちを整理できた。孤立せずにすんだ」と、振り返る。