「26歳で初めて生理が」元フィギュア・高橋成美 世界選手権後に大けがもソチ五輪出場を果たして
勉強にもついていけないしスケートもこんな状態だし、私は何をやっているんだろうという気持ちにさいなまれていたなかで、やっぱり自分はフィギュアスケートが好きだし、ペアが好きなんだ!という結論に辿り着いたのが、高校1年生の1学期が終わるころだったんです。 それで、夏休みに入るときに「ラストチャンス!お願いします!」と両親に頼んで、カナダにいるリチャード・ゴーティエというコーチに「最後のチャンスで、ペアのトライアウトを受けさせてください」とメールしました。コーチからも「すぐに来なさい」と返事をいただいて、父も「これで諦めがつくなら」というような感じで、母と一緒にカナダへ行かせてくれて、トライアウトを受けました。
1年生のときは高校に在籍しながら少し留学するというような形を取っていたのですが、カナダで出会ったマービン・トランとペアを組んで日本代表としてジュニアグランプリシリーズに出場したときに、これまでの感触と全然違ったんです。「え!こんなに光が見えるんだ!世界が見える!」みたいな。もうこんなベストパートナーには出会えないと思ったので、「日本に帰っている間は彼と練習ができないから、カナダに住みたい」と両親に言ったら、了承してくれました。2年生のときにカナダの高校へ転校することになりました。
■「生理が来ないことは恵まれていると思っていた」 ── カナダではお母さまとふたり暮らしだったんですよね。 高橋さん:はい。母とはいつも一緒で、遊びに行くのも母としか行ったことがなかったです。母は栄養の専門学校へ通っていたので、料理も得意で、30品目くらい摂取できるよう食事を作ってくれていました。うどんを足で踏むところから手作りしてくれたり、春巻きをすごく少量のフレッシュな油で揚げてくれたり、野菜と食物繊維がたくさん入っていて食べれば食べるほどきれいになるようなオリジナルケーキを焼いてくれたり。