棒高跳び界に出てきた新星・山本聖途
長年日本記録保持者の沢野大地が牽引した男子棒高跳びに、彼の業績を引き継ぐ新星が登場した。それが中京大4年の山本聖途だ。 世界陸上3日目の決勝では、最初の5m50を余裕を持ってクリアすると次の5m65は苦しみながらも3回目にクリア。そして8位以内入賞がかかった5m75も追い込まれた3回目に成功し、世界陸上日本人最高の6位入賞を果たしたのだ。 「ハラハラさせられた」という記者の言葉に、「あそこはあえて落として、自分を追いこんだんです」とうそぶく山本だが、追い込まれてもクリアする自信はあったと言う。 「5m75は自己ベストと同じ高さということもあって跳び急いでしまったけど、落ち着いて普通にやれば跳べると思っていたし…。試合直前の練習跳躍もそうだし、モスクワへ来る前の試合や普段の練習でも跳べてたので、自分のなかに自信はありました」 大会直前に腰を痛めていて、当日も痛み止めを飲んでいた。だが跳び始めるとその不安も消え、入賞を期待されているプレッシャーさえも感じることなく楽しみながら跳べたと言うのだ。 名前の由来は「聖火への途(みち)」。元100m選手だった父親の久義さんが、五輪出場の夢を託した名前だ。 元々長距離をやっていた彼は、中学2年の時に棒高跳びと出会った。高2で5mを跳んだが、3年時のインターハイは6位。10年に中京大に入学してから一気に力をつけ、昨年の日本選手権では延々と続くジャンプオフの末に沢野を下して初優勝。ロンドン五輪代表の座も手にしたのだ。だが本番は頭の中が真っ白になってしまい、予選を記録無しで敗退する屈辱を味わった。 「あの悔しさは絶対に忘れられない。二度と同じミスはしたくないと思った」と、五輪後から体幹部の強化にも取り組んで体重も増量。元々助走のスピードをポールに伝えて曲げるのがうまい選手だったが、体重が増えた事でそれまでより反発の強い、硬いポールを使えるようになったことで記録が伸びてコンスタントに結果を残せるようになった。 5m82を3回失敗して入賞を確定させた後山本は、グランドでロンドン五輪優勝のレナルド・ラビレニ(フランス)と同3位のラファエル・ホルツエッペ(ドイツ)の5m89、5m96へとバーを上げる優勝争いを見た。 「入賞が決まった瞬間は嬉しかったけど、冷静になると悔しくなりましたね。自己ベストを更新する力は持ってきたから、もっと上にいけたんじゃないかと思っていたし。ふたりの優勝争いを見ていても、僕はあのレベルで試合をするつもりでモスクワに来ていたのでやっぱり悔しかった。2年後の世界陸上では絶対にこの選手たちと、このレベルで戦いたいな、と思って見ていました」 今回は山本だけではなく、沢野大地と荻田大樹も出場して底力が上がっている日本男子棒高跳び。その新たな牽引者として向かうリオデジャネイロ五輪のために、山本は「まずは日本記録(5m83)の更新が目標。そして五輪までには、6m近くを跳べるようになっていたい」と言う。 そのために必要なのは、現在使用する長さが16・5フィートで硬度が190ポンドのポールを、外国選手と同じくらいの10ポンドは硬くてもう一段長いポールに替えて使いこなせるようにすることだ。 その高いハードルに対しても山本は、「筋力をつけて体重を増やすことも必要だし、スピードや技術を磨くことも必要。それらのすべてをバランスよくやっていきたい」と、力みもない笑顔をみせる。 (文責・折山淑美/スポーツライター)