大河ドラマ『光る君へ』作曲家「成功体験みたいなものはない」 冬野ユミ、劇伴制作の喜びと苦労
NHK大河ドラマ『光る君へ』。広上淳一指揮、NHK交響楽団によるオーケストラをバックに反田恭平が奏でる流麗なピアノと朝川朋之の色彩豊かなハープが印象的なテーマ曲はもちろん、ジャズやロックなど多彩なジャンルの楽曲で平安絵巻を彩るのが、作曲家の冬野ユミである。 【画像】冬野ユミ 14歳でピアニストとしてステージデビュー。中学、高校時代は学生生活との二足の草鞋でレストランや街角などで演奏を重ね、大学卒業後にラジオドラマで劇伴作家としてのキャリアをスタート。1995年にはサウンドレコーディングマガジン主催「Ecole alternative artists」にて細野晴臣に才能を認められ、プロデュースを受けた経験も。そこから『アシガール』や『スカーレット』といったNHKドラマの音楽を担当してきた。 冬野は学生時代を振り返り、自身のことを「お小遣いを稼ぐ勤労学生」と話す。音楽との出会いから、学生時代、作曲家になるまでの道程について聞いてみた。(トヨタトモヒサ) ■中学生でハモンドオルガン奏者としてデビュー ーーまずは振り返っていただき、音楽の原体験からお聞かせください。 冬野:最初の出会いは、3歳の頃に習い始めたピアノですね。ただ、習ったというか、「親に習いに行かされた」というのが正直なところです。普通にクラシックピアノを教わっていたけど、とにかく譜面通りに弾くのがイヤでイヤで堪らないような子でした(笑)。小学校3~4年頃になると、放課後に教室にあった足踏みオルガンで、同級生のリクエストに答えて当時の流行りの曲を適当に伴奏をつけたりしていたのが思い出としてありますね。 ーーオルガンと言えば、ハモンドオルガンを弾かれていたそうですが、それが原点でしょうか? 冬野:いえ、それはまた違うんです。そんな感じで、クラシックピアノは熱心に練習していなかったものだから、一度辞めさせられてしまって(笑)。その後、一年くらいのブランクを経て、自分から「やりたい」と言い出して、一度は復帰したんですけど、結局あまり練習はしないまま、映画音楽とかジャズを耳コピして弾いていたんです。そうしたところ、その話を聞きつけた知り合いの方から紹介してもらったのが、ポピュラーピアノやハモンドオルガンをやっている先生でした。 ーー今は、バイエルやツェルニーなどの教則本だけだと、子どもが飽きて早々に辞めてしまうから、普通のピアノ教室でもポピュラーを弾いたりしますが、当時としては、かなり珍しかったのではないでしょうか? 冬野:先ほどもお話したように、当時の自分は、クラシックは面白くないと思っていたので(笑)、その出会いはとても大きかったですね。その後、中学2年生の時に人前で演奏する機会があり、その際にお金をいただいたので、デビューと位置付けています。それをきっかけに色々な場所で演奏するようになりました。ひとつ幸いだったのが、中高一貫のミッション系の学校に通っていまして、当時はまだ土曜日の休みは珍しかったんですけど、私が通っていた中学は土曜も休みだったんです。だから、ほぼほぼ土日は、どこかしらの場所で、演奏するという生活を送っていました。 ーー実際にハモンドオルガンを弾かれてみて、どういったところに魅力を感じましたか? 冬野:音色的にはパイプオルガンのジャズ版といったイメージで、足元のペダル鍵盤で低音部を弾くことができるので、高音から低音まで幅広く表現できるところに魅力を感じました。楽器自体は、エレクトーンの源流と言ったら分かりやすいでしょうか。当時は、映画音楽やポピュラー系のピアノを弾く一方、ジミー・スミスに傾倒していて、ハモンドオルガンでジャズを弾いたりしていました。今も好きなんですけど、バート・バカラックとか、パーシー・フェイス辺りは、その頃、自分の中に入っていった感じです。 ーー主にどういったところで演奏をされていたのですか? 冬野:店頭や夜のレストランとかですね。高校生だったので、下校途中に制服をカバンに押し込んで私服に着替えて(笑)。そうやってお小遣いを稼ぐ勤労学生でした。 ーー演奏活動を通じて、今の作曲家としての活動に役立っていることはありますか? 冬野:まだ学生だったんですけど、人前で弾く仕事だったので、度胸はついたでしょうか。後はリクエストを受けて弾くこともあったんですけど、カップルの場合、演奏しながら二人の様子を見て、「よし、いいムードになって来たな」なんて思ったら、雰囲気に合うような曲にしてみたり。音楽自体はジャズとかポピュラーの既成曲を自分でアレンジして弾いていたんですけど、そういったシチュエーションに合わせて、即興で弾いた経験は、もしかしたら今の劇伴のお仕事に役立っているかもしれませんね。 ■ラジオドラマの音楽で劇伴作曲家としてデビュー ーー演奏活動から作曲にシフトされたのは? 冬野:ずっと演奏活動を続けていて、大学を卒業してからはスタジオのお仕事もやっていたんですけど、ある時、舞台の音楽を演奏する仕事が来たんです。それまでお芝居の音楽は全くやったことがなかったんですけど、そこで意気投合した音楽監督の方が、NHKのラジオドラマの演出を手掛けていらして、「ラジオドラマの音楽をやってみない?」と声をかけていただいたのが、きっかけでした。 ーーその方のお名前は? 冬野:今はもう亡くなられてしまったんですけど、角岡正美さんという、ラジオドラマの神様のような方です。角岡さんからは、ものすごい洗礼を受けましたね。角岡さんとの初作品は、海外ラジオドラマ『屈辱』でした。その後、「FMシアター」というラジオドラマ枠で、当時はものすごく攻めたドラマを作っていらして、音楽もウィスキーの瓶に水を入れてシェイクした音をサンプリングして取り入れたり、とにかく一風変わったものを求められました。「今度はオンド・マルトノでやって」とか「民族音楽のケチャでいくから」と言われたりして。そういうやり方に感化されて、どんどんのめり込んで行きました。 ーーかなりアヴァンギャルドですね。 冬野:当時、AKAI professionalから出ていた「S900」というサンプラーが恰好のオモチャじゃないけど、それを使って音楽を作るのがとにかく楽しくて仕方がなかったです。他にも夜の町に繰り出して雑踏を録り、それをサンプリングして音楽を作ったこともありました。 ーー昔の劇伴は、現代音楽の作曲家が食い扶持としてやっていたり、譜面が書ける歌謡曲や演歌のアレンジャーが片手間で手掛けることがあったようですが、全く別のところから入られたわけですね。 冬野:私の場合、全くそういう方向ではなかったんです。これも角岡さんのアイデアでしたが、NHKにあるスタインウェイの素晴らしいピアノの弦の間に消しゴムを挟んだりして。プリペアド・ピアノと言うんですけど。 ーージョン・ケージが生み出した手法ですね。 冬野:ええ。今はもう時効だと思いますけど、もちろん楽器班には内緒で(笑)。NHKでそんなことをやったのは、たぶん私だけだと思います。そうこうしているうちに、朝ドラの『スカーレット』や、今回の『光る君へ』のチーフディレクターの中島由貴さんが入社されてきて、彼女が初めて手掛けるラジオドラマ作品で、私がやっていたBANANAというユニットが音楽を担当することになり、そこで初めて一緒仕事をしました。大道珠貴さん脚本の『おっぱんさま』というラジオドラマで、お互い若くて、彼女もかなり尖っていて、これもかなり弾けた内容だったんですけど、音楽もコントラバス奏者に音程を無視してギーギー演奏してもらったり、彼女からの注文でアンビエントな音を入れてみたり、とにかく色々なことをやりました。中島さんとは、今も角岡さんとの思い出を含めて「あの頃はおもしろかったよね」なんて話をよくしますね。