自分らしさを感じた一撃「積み重ねがそうなる」 20年間で1度だけ…ザックジャパン伝説ゴールの真相【インタビュー】
PK詰めたプレーの真相「僕の記憶での一番は反町さんの映像だった」
この時、本田がPKを蹴るのに合わせて後方から助走をつけて走り込み、こぼれ球になった時にはいち早くボールに触れるようにしたプレーも注目を集めた。一部では、浦和在籍時にフォルカー・フィンケ監督から指導を受けたとも言われたプレーだが、真相は少し異なるという。 「北京五輪代表の活動の時に、反町(康治、監督)さんがミーティングの映像でPKの場面を出したことがあった。誰かがPKを蹴ったこぼれ球を、確か(本田)圭佑だったと思うけど、彼がああいう形で詰めにいった場面の映像があって、それを覚えていて浦和でもずっとやっていた。 だからフィンケ監督に言われたわけではないんですけど、多分、福田正博さん(元日本代表、浦和在籍時にコーチを務めた)が何かのコメンテーターをしていた時に『フィンケが細貝に言っていた』と言っていたようなので、それが浸透したと思うけど、僕の記憶での一番は反町さんの映像だった」 反町監督の率いた北京五輪は2008年で、フィンケ監督が浦和を率いたのは2009年からのため、時系列を見ればその通りなのだろう。そして「(本田)圭佑をマネしてちゃんとやっていたら、その彼がPKを外して僕が詰めたというね」と笑ったが、20年間というプロキャリアの中でこの1プレーが脚光を浴びたことについて感慨深いものがあるという。 「本来ならこの20年間、浦和でもPKの時に全部やっていたけど、1回もこぼれ球が来なくて誰からも注目されず、何事もなかったかのように終わっていても不思議がなかったもの。でも、それをやっていたからこそ大事な場面で決められた。これに関しては本当に準備していて良かった、積み重ねがそうなるんだなと改めて思った。引退して20年間を振り返ると、あのゴールが一番自分らしかったのかな。それまでの過程や浦和の時からの積み重ねも含め、自分らしいゴールだったなと思う」 アジアカップ最多4回の優勝を誇る日本代表だが、この2011年大会を最後に優勝していない。その勝ち上がりから含め劇的なことの多かった大会だが、今ではPKの際にこのような形で詰めていくスタイルも一般的なものになり、Jリーガーの中にも「子どもの時に見て、それからずっとマネしている」と話す選手がいる。それくらい、日本サッカーに与えたインパクトは大きく、細貝のサッカー人生を振り返るうえでも欠かすことのできないハイライトになるプレーだった。 キャリアも終盤に近づいてタイへの移籍も経験した細貝だが、引退どころか命の恐怖すら感じるような病魔との戦いも経験することになる。
轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada