観客ひとり一人が自由に想像できる時間を── 咲妃みゆ×松岡広大が音楽劇『空中ブランコのりのキキ』で目指すもの
“分かる”という感覚が邪魔になる
――この作品では、咲妃さんは空中ブランコのりのキキ、松岡さんはピエロのロロをメインに演じられます。同じサーカス団で活躍するこのふたりのキャラクターについて教えてください。 咲妃 (頭を抱えて)うわあ~難しい! うう~、お先にどうぞ! 松岡 (笑)。まず僕はキキとロロを、対照的に考えています。キキは社会的な死を考える人で、ロロは肉体的な死を考える人。社会的な死というのは私たちの日常にもあって、たとえば会社から避けられるとか排除されるとか、立場、肩書きがなくなることで、生きる力をなくしてしまうことです。そこで考えるのは、アイデンティティについてで、自分の根っこはどこにある!?といったことを、キキやロロのような多感な10代の時に考えるのは非常に辛いと思うんです。また、他人と自分の比較をするようになって、誰かは優れている、劣っている、みたいなことも感覚的に分かってくる。キキはそういった意味で、現代の人に近いものを持っているんじゃないかなと。 ロロは単純明快で、肉体的な死、つまり死ぬことを一番遠ざけたい。「生きていれば何だっていい、アンタがいるだけでもう十分だよ」とキキに言うんですけど、やはりそこまで単純ではいられなくて、葛藤の只中にいる人間だと思います。キキに寄り添いながら、その心が分かるけど、分からない。そんな曖昧な関係性が僕はとても好きです。 咲妃 考察が深い……!(一同笑)キキは早くに両親に先立たれて、家族がいない状況で幼少期を過ごしているんです。これは今を生きる私たちにも言えることだと思うんですけど、最初に自分の存在を肯定してくれるもの、無償の愛で包んでくれる誰かがいるのといないのとでは、あらゆる感覚が違ってくると思うんですね。ロロが励ましてくれたり、手を差し伸べてくれたりして、キキは徐々に自分を構築してはいくけれど、自分のことを自分が一番認めていない。彼女が自分自身とどう向き合うか、がこのお話の重要なポイントのひとつでもあります。 俳優という仕事も、やはり周りの方々から評価をいただいて、何とか続けていられるものでもあります。だから、誰かに認めて欲しい、誰かが喜んでくれる姿を見たい!というキキの気持ちが、私はよく分かるんです。でも、まだ10代のキキが陥っている状況と、30代の私の感覚を一緒にしてはいけないなと。今は咲妃みゆの共感がちょっと足枷になっている状態です(笑)。お話の中でもたくさんの登場人物がキキに温かい言葉をかけてくれますが、それをどこまでキキが自分の中に吸収しているかは、私の体を通してじゃなく、もう少し客観的に見ないといけないなと。 松岡 自分の体を使わないで客観的に、っていうのは素敵な言葉ですよね。