息子の3年の不登校で外科医が転職を決断した訳 レール上を歩いてきた父親が“正論”を手放すまで
「不登校が始まったばかりの人から回復段階に入った人まで、さまざまな状況の親御さんたちと出会えたことにもずいぶんと助けられました。みなが同じ境遇なので話を素直に受け入れられるんですね。相手の気持ちが理解できるし、私の気持ちも理解してもらえる」 「ただその一方で、うちはまだ不登校の初期段階で先は長いなと。妻と覚悟を決めたものの、自分の子だけ回復過程をたどっていけないのではと不安に押しつぶされそうになることもありました。この頃が精神的にいちばんきつかったですね」
そんな大澤さんがいろいろ考えた末に、ある大きな決断をされます。 「思い切って仕事を変えることにしたんです。外科医として長く急性期医療に携わっていましたが、回復期のリハビリにシフトすることにしました。50歳を前にしてそれまでの仕事に閉塞感を感じていたことと、医師として今までとは違う貢献ができないか自問自答した末の決断です」 同じ医療職とはいえ、それまで積み重ねてきた技術や知識を手放すのは大変なことでしょう。実はそこには大澤さんの「子に変化を望むのであれば、まず、自分が変わらなければ」という思いがありました。不登校生の親御さんの多くは子どもが変わることを期待しますが、大切なのは最初に親が変わっていくことなのです。
「大きな決断でしたが第2の医療人生も悪くないなと。いくつになっても新しいことを始められると息子に伝えたい。そんな一抹の思いもありました」 「それに、人との接し方も変える必要があると感じたんです。これまで無意識なうちに自分本位な面が出てしまっていたのではないかと反省しました。医療現場は多職種連携が大切なので、人の話を傾聴し、相手を理解してコミュニケーションを取ろうと意識して行うようになりました。これも息子のおかげでしょうね」
そして、もうひとつの決断が家づくりです。息子さんが中2の夏にマイホームの建築を始めたそうです。 「もともと借家住まいでしたし、転職を機にそこを出なければならなくなって、それなら思い切って建ててしまおうと。その頃はまだ真っ暗なトンネルが続いているような心境で、妻も辛い思いをしていましたし、先が見えないからこそ希望やワクワクすることがほしかったんです」 息子さんが学校を変えなくてもいいように、大澤さんはさまざまな配慮をしながら臨みます。