息子の3年の不登校で外科医が転職を決断した訳 レール上を歩いてきた父親が“正論”を手放すまで
「大きな決断でしたが第2の医療人生も悪くないなと。いくつになっても新しいことを始められると息子に伝えたい。そんな一抹の思いもありました」 「それに、人との接し方も変える必要があると感じたんです。これまで無意識なうちに自分本位な面が出てしまっていたのではないかと反省しました。医療現場は多職種連携が大切なので、人の話を傾聴し、相手を理解してコミュニケーションを取ろうと意識して行うようになりました。これも息子のおかげでしょうね」
そして、もうひとつの決断が家づくりです。息子さんが中2の夏にマイホームの建築を始めたそうです。 「もともと借家住まいでしたし、転職を機にそこを出なければならなくなって、それなら思い切って建ててしまおうと。その頃はまだ真っ暗なトンネルが続いているような心境で、妻も辛い思いをしていましたし、先が見えないからこそ希望やワクワクすることがほしかったんです」 息子さんが学校を変えなくてもいいように、大澤さんはさまざまな配慮をしながら臨みます。
「夫婦でいろいろ話し合って進めました。家はむくの木を使った木質感のあるデザインにして、薪ストーブを入れたのが特徴です。息子も薪をくべて、親子で炎を眺めたりしています」 ■中学3年から登校し始めたが… 大澤さんが変化を起こしていくかたわら、息子さんの様子はどうだったのでしょうか。 「中学2年の2学期まではほぼ完全不登校で、鉛筆すら持つこともなく過ごしました。体育祭や合唱祭などのイベントには時折参加していましたね。中2の正月明けから自分の意思で塾に行き始め、数学だけ勉強していましたが、外出が苦痛なようで外食ができず、人混みや電車を避けていました」
「中学3年になってからは、このままではダメだと思ったのか登校し始めたんですが、次第に五月雨登校になり、定期テストを受けた後に『このまま皆といっしょに受験するのは無理だ』と本人が結論を出しました」 「実は再登校したのを見て、『うまくいけば普通に受験できるかも』と親の淡い期待が出てしまったんです。でもダメでした。息子の決断を聞いて『そうか、わかった。それでいい』と、私もそこで初めて不登校を完全に受け入れた気がします」