息子の3年の不登校で外科医が転職を決断した訳 レール上を歩いてきた父親が“正論”を手放すまで
「夫婦でいろいろ話し合って進めました。家はむくの木を使った木質感のあるデザインにして、薪ストーブを入れたのが特徴です。息子も薪をくべて、親子で炎を眺めたりしています」 ■中学3年から登校し始めたが… 大澤さんが変化を起こしていくかたわら、息子さんの様子はどうだったのでしょうか。 「中学2年の2学期まではほぼ完全不登校で、鉛筆すら持つこともなく過ごしました。体育祭や合唱祭などのイベントには時折参加していましたね。中2の正月明けから自分の意思で塾に行き始め、数学だけ勉強していましたが、外出が苦痛なようで外食ができず、人混みや電車を避けていました」
「中学3年になってからは、このままではダメだと思ったのか登校し始めたんですが、次第に五月雨登校になり、定期テストを受けた後に『このまま皆といっしょに受験するのは無理だ』と本人が結論を出しました」 「実は再登校したのを見て、『うまくいけば普通に受験できるかも』と親の淡い期待が出てしまったんです。でもダメでした。息子の決断を聞いて『そうか、わかった。それでいい』と、私もそこで初めて不登校を完全に受け入れた気がします」
この時に大澤さんは「不登校脱出と再登校は同義ではない」と思ったと言います。つまり、学校に行くかどうかにとらわれず、子どもが自分の人生をひとつひとつ決めていくことが大切なのだと感じたのです。こうして約2年かかった長い道のりにひとつの区切りをつけられました。 その後は、夏休みに家族で沖縄に旅行に出かけたり、ハイキングやサッカー観戦に行ったり、息子さんと行動を共にすることで本音を出し合う機会が増えたとか。
■凝り固まっていた人生観が広がった 今、息子さんは私立の通信制高校に通っているそうです。 「受験シーズンが終わり、中学校の卒業式までの約1カ月は毎日通学しました。自分なりに中学生活に区切りをつけようとしたんでしょう。各学年の時の担任の先生に挨拶に行き、お礼を伝えたらしいです。友人たちも久しぶりの登校にもかかわらず普通に接してくれたようで。ありがたいですね」 「高校は通信制ですが、制服もあって週5日の授業もあります。少数ですが気の合う友達もできたようです。精神的な波はまだありますが、以前なら心が折れていたようなことも自分なりに消化しているように感じます。絶望の中でもがいていた頃が想像できないくらいになりました。今は息子の自主性に任せ、相談があれば応じることにしています」