息子の3年の不登校で外科医が転職を決断した訳 レール上を歩いてきた父親が“正論”を手放すまで
■お父さん、息子の好きにさせてやれないか 打つ手が見つからずじりじりと模索する中、ある小児科の開業医と出会います。もともと小児心身医学を専門とする高齢の医師でした。 「その医師に叱られたんです。『お父さん、(息子の)好きにさせてやれないか? だまっていてやれないか?』と。その先生にはその後もお世話になりましたが、その医師がしたのは子どもを否定せずにあるがままを受け止めて話を聴くことのみでした。 「逆に制限しようとしていたゲームを勧め『″ゼルダの伝説“をやってみろ、お父さん、買ってやれ』と。今は何も言わずにそばにいて見守ってやれ、それだけでいい、そういうことだったのだと思います」
その医師の言葉を受け、大澤さんは息子さんといっしょにゲームを楽しむことに。 「時間も一切制限しませんでした。さすがにゲームは子どものほうがうまいですね。息子にキャラを倒してもらうこともありました。そんなふうに共通の遊びを持てたのはよかったと思います。思えば息子が学校に行かなくなったころから口論が増えました。親として正論をぶつけていたんでしょうね。息子の話をちゃんと聞いていなかったんです」 大澤さんに少しご自身を振り返る余裕が出てきた頃ですが、不登校は一朝一夕には変わりません。その後も当直中に電話がかかってくるなど、息子さんからのSOSは続きます。
「他の時間帯なら少し席を外すこともできますが、当直中は人の命を預かる仕事として全責任を持って集中しなければなりません。そのためにはまず自分自身が安定していないといけないのですが、気持ちが乱れることもありました」 大澤さんが私のブログにたどり着いてくださったのはそんな頃です。 ■先は長いと覚悟を決める 「息子が中1の秋か冬だったと思います。妻が『こんなのがあるよ』とランさんのブログを見せてくれたんです。そこには実際の経験に基づき不登校の様子が段階別に書かれていました。それを見て、『そうか、こういう過程をたどって回復していくのか』と道しるべを得て、真っ暗な闇の中に光が見えたような気がしました」