息子の3年の不登校で外科医が転職を決断した訳 レール上を歩いてきた父親が“正論”を手放すまで
職場ではいつも冷静でも、この時ばかりは親としてうろたえたという大澤さん。仕事でつながりのある心療内科や精神科の医師に相談します。でも、思うような回答は得られず。 「ある医師からは『死ぬなどと言う行動に出た時は毅然とした態度で臨め。警察に電話するなど第三者に任せるように』と言われました。明確に線を引くのはたしかにひとつの方法でしょう。医学的なアプローチがそうなのかもしれません。でも私はそれを受け入れられませんでした。息子は私に見放されたと思うだろうなと」
■お父さん、息子の好きにさせてやれないか 打つ手が見つからずじりじりと模索する中、ある小児科の開業医と出会います。もともと小児心身医学を専門とする高齢の医師でした。 「その医師に叱られたんです。『お父さん、(息子の)好きにさせてやれないか? だまっていてやれないか?』と。その先生にはその後もお世話になりましたが、その医師がしたのは子どもを否定せずにあるがままを受け止めて話を聴くことのみでした。 「逆に制限しようとしていたゲームを勧め『″ゼルダの伝説“をやってみろ、お父さん、買ってやれ』と。今は何も言わずにそばにいて見守ってやれ、それだけでいい、そういうことだったのだと思います」
その医師の言葉を受け、大澤さんは息子さんといっしょにゲームを楽しむことに。 「時間も一切制限しませんでした。さすがにゲームは子どものほうがうまいですね。息子にキャラを倒してもらうこともありました。そんなふうに共通の遊びを持てたのはよかったと思います。思えば息子が学校に行かなくなったころから口論が増えました。親として正論をぶつけていたんでしょうね。息子の話をちゃんと聞いていなかったんです」 大澤さんに少しご自身を振り返る余裕が出てきた頃ですが、不登校は一朝一夕には変わりません。その後も当直中に電話がかかってくるなど、息子さんからのSOSは続きます。