競技人生が一変するケガを経て。飛び込み・金戸凜は「今は切実に五輪に出場したい」
大人にまるで引けを取らない天才少女だった。だが、ケガに泣かされ競技人生が大きく変わる。金戸凜はいくつもの障害を乗り越え歩み続けている。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.867〈2023年10月19日発売〉より全文掲載) 飛び込み・金戸凜選手
奇跡とも呼ぶべき、日本選手権での優勝
「優勝したことは素直にうれしいし、自分の中ではほっとしているのが大きいですね。去年ケガをして、今年4月に行われた福岡の世界選手権の選考試合にも出場できなかったから、今年の日本選手権がパリ(・オリンピック)へのラストチャンスだと思ってやってきた。だから、これまでで一番集中して試合に臨めました」 今年、9月に行われた日本選手権の女子高飛び込みで優勝したのが、金戸凜だ。この優勝は、奇跡とも呼ぶべき出来事である。 昨年9月、彼女は練習中に大ケガをしてしまう。後十字靱帯の断裂と半月板の損傷。まったく歩くことができなかったところから、たった11か月で見事に復活を遂げたのだ。今年4月の世界選手権の選考試合は、だから出場は叶わなかった。 ここで世界選手権の出場権を得て、福岡で行われたこの大会で決勝に残るというのが、パリ・オリンピックへの一番の近道だったし、現に荒井祭里がこれを歩み切った。 そして、今年の日本選手権は、来年2月にカタールのドーハで行われる世界選手権の選考会であり、またそこで決勝に残れば、オリンピック代表に希望を繫げる。金戸が言ったラストチャンスという言葉には、そういう意味が含まれている。
15歳で右肩を負傷。東京は消えた
祖父母、両親ともにオリンピック代表。まさに飛び込みの申し子、小さい頃から注目されてきたし、実力も文句なしだった。本人も「中学生までが黄金期でした。負けなしでしたから」と、笑う。 両親がバレエとトランポリンを習わせたのも大きかったはず。今でも、空中での感覚が優れていることは演技を見ればすぐにわかるし、手先足先まで美しく伸びているのはバレエで培った技術だろう。 13歳のときにはトップ選手が集結する国際大会派遣選手選考会の3m板飛び込みで優勝を果たす。そして、15歳のときには日本室内選手権飛込競技大会の高飛び込みで優勝し、韓国の光州で開催された世界選手権に初出場した。ここまでは、順風満帆である。 が、ここからとてつもない試練が金戸を襲うのである。 大会では予選5位となり、準決勝へと進む。実はこれは東京オリンピックの選考大会でもあった。決勝進出の12位以内になればその舞台に立てる。しかし、準決勝の1本目で右肩を負傷。17位に沈んでしまう。 それからは、演技で腕を動かすと亜脱臼になることが頻繁に起きる。20年、手術を決断。東京は消えた。そして、復帰後には父・恵太さんの勧めで肩に安全な板飛び込みに専念するようになる。 16歳には難しい決断だ。板の反発を利用する板飛び込みは筋力と体重が必要。成長期の女子には不利である。それでも、黙々と練習を続け、21年には全日本選手権の3m板飛び込みで優勝。 翌年7月には三上紗也可と組んで、ハンガリー・ブダペストの世界選手権の3m飛び板シンクロで準優勝に輝いたのだ。