老犬と暮らす(2)「罪悪感」から生まれた犬の介護Howto本
高垣さんの「2つ」の後悔
2010年の春先、定期検診で、てんに肺がんが見つかった。既に進行していて、「余命1か月」だと宣告された。「確かに、散歩の時にゼーゼーしたり、ちょっと立ち止まったりということがあったんですけれど、『加齢のせいかな?』くらいにしか思っていなかった」と高垣さんは言う。 最後の最後まで自分の足で歩いていたというから、フェード・アウトするようにゆっくり弱っていくような日々だった。その1か月余りの介護生活で最も大変だったのは、排泄の世話だ。「家の中でトイレをするというしつけをしていなかったので、どうしても外に出すまで我慢してしまう。それで、たびたびおもらしをさせてしまって……。おむつをつけるという知識もなく、マットレスを敷いて外れたらその都度拭くといったことしかできませんでした」。人間同様、あるいはそれ以上に排泄で失敗することを恥じる犬も多いと聞く。だから、高垣さんはこのエピソードを後悔と共に思い出すのだろう。 亡くなったのは、4月29日の「みどりの日」だった。よく晴れたポカポカ陽気の休日。てんが出たがるので庭に出すと、自分の足で芝生の真ん中まで歩いて行き、静かに亡くなった。「その場にいた両親によれば、全く苦しまずにいつの間にか眠るように亡くなったらしいです」。 高垣さんが「らしい」と言ったのは、臨終の場に居合わせることができなかったからだ。「まさか死ぬわけがないと思っていて、その日は前々から予定していた旅行に行ってしまっていたんです。最期を看取ることができなかったこと、そして、癌を早期発見できなかったこと。この2つにはかなり後悔しています」。
それでも愛は消えない
この高垣さんの2つの「後悔」は、同様の経験をしている僕の胸にも生涯消えることのない十字架として残っている。僕は、最愛の存在だったフレンチ・ブルドッグの『ゴースケ』を昨年の秋に11歳で失っている。てんと同じように、ゴースケも少し前から散歩中にゼーゼーして立ち止まることが目立つようになっていた。だが、僕の場合はもっとひどい。ゴースケが極度の病院嫌いだったというのは言い訳にはなるまい。亡くなるその時まで病院に連れて行かなかった。 その日は東京で取材があり、朝、膝の上に乗っていたゴースケを振り払うようにして長野県の自宅を出た。帰りの高速バスに乗っている時に、妻から「苦しそうなので病院に連れて行ったが、危ないかもしれない」という短いメールがあった。夜中に自宅に帰った時には、まだ息はある、もう遅いので面会は明日の朝にしてくれと病院に言われた。 無理にでも、獣医師を叩き起こしてでも、会うべきだった。深夜、冷たくなったゴースケを迎えに行った時、ゴースケは最期まで僕の姿を探していた様子だったことを知った。病院に運び込まれる前も、最後の力を振り絞って、家の2階の僕の部屋に上がっていったらしい。朝、無理やり膝の上にいたゴースケを振り払った感触が、今も消えない。ゴースケは、自分が一番苦しい時代に共にいてくれ、苦悩を癒やしてくれたかけがえのない存在だ。何よりも、生きているうちに「ありがとう」を言えなかったのが悔やんでも悔やみきれない。 高垣さんの実家では、てんが亡くなった約1年後に、キャバリアの『空次郎』(オス・4歳)を迎えた。一人暮らしの高垣さんも、今年3月に本が出版されたのを区切りに、ペット可の物件に引っ越すことができたら、また犬を飼いたいと思っている。実家の両親は、少し神経質なくらい、空次郎をまめに病院へ連れて行っているそうだ。そして、「しつけには相変わらず甘い」と高垣さんは笑う。 『犬の介護に役立つ本』は、高垣さんや僕のような後悔をしないように、事前に知識や心構えを養っておこうという狙いを持った本だ。もちろん、その意図と内容は正論だ。でも、後悔の念と共に、亡くなった犬との思い出を永遠に抱くのもまた、深い愛情ではないだろうか。後悔をしないに越したことはないが、何らかの事情で後悔をすることがあっても、犬がくれた愛情と飼い主が寄せた愛情が消えるわけではない。人は過ちばかりする。あの時のあのことを悔やんでも悔やみきれない「愚かな人々」を切り捨てることが、高垣さんと共著者の本意ではないことを、「愚か者」を代表して申し添えておきたい。
《内村コースケ》 フォトジャーナリスト。新聞社を退職後、フリーになると同時にフレンチ・ブルドッグ『ゴースケ』(オス)を飼い始めたのをきっかけに、犬関連のフォトエッセイや取材・撮影が仕事の中心となる。ゴースケの1歳の誕生日に1歳年下の『マメ』(フレンチ・ブルドッグ/メス)を迎え、その後、マメについてきた迷い犬の老犬、『爺さん』を保護し、そのまま飼い続ける。爺さんは2010年1月に短い介護期間を経て老衰で死去、ゴースケは2014年10月に肺炎が悪化して11歳で急逝した。マメは2歳と7歳で2度大手術をしたが、11歳の今も元気