能登半島地震から半年…復旧復興はなぜ進まないのか
この日、見積書の聞き取りに約1時間かかったのを目の当たりにした盆下さん。これまで盆下さんのところには補助金の相談が110件以上来ているが、申請できたのはわずか2件だけだった。この見積書の作成に、遅れの一因があるのではないか…。 「のと共栄信用金庫」本部(石川・七尾市)に戻った盆下さんは、補助金の申請を増やすため、電話で県に掛け合う。「工事するかどうかも分からないところに時間を割いて、無料でやるというのはなかなかできないのが現状。それが、(申請が)進まない理由の1つなのかなと。例えば見積書いくらぐらいか県として予算を組んでもらえたら、(申請が)加速するのでは?」。盆下さんの必死の訴えに、県の担当者はどう答えるのか。
珠洲の解体業者が向き合う「公費解体」のリアル
5月下旬、石川・珠洲市。元日に震度6強の地震に襲われた珠洲市では、半年が経った今も地震直後と変わらぬ景色が続く。倒壊した家屋には「危険」と書かれた紙が貼られ、立ち入ることはできない。 行政が建物の解体費用を負担する公費解体を請け負うのが、地元・珠洲の解体業者「やなぎ企画」。社長の柳和彦さんは40年以上解体業に携わってきたが、今回の公費解体は勝手が違った。
倒壊した家屋の屋根を一気に解体するのかと思いきや、瓦だけを丁寧に剥がしていく。熟練職人の柳さんでも、屋根の瓦を全てはがすのに40分かかった。続いて木材を2本のアームでつかみ、へし折ってトラックへ。別のトラックには、カーペットや布類だけが載っていた。すべて分別して廃棄しなければならないのだ。これは東日本大震災の時に取り入れられた方法で、柳さんは「全部まとめて捨てられるなら早いけど」とこぼす。
この家に住んでいた藤野文博さんは柳さんとは古い付き合いで、柳さんは、藤野さんたちに確認しながら解体作業を進めていく。屋根の下から出てきたのは、子どもの時の卒業証書など、わずかに残った思い出の品…。藤野さんたちの思いに寄り添いながら解体するため、1軒に10日前後費やす。「やなぎ企画」のような規模の解体業者では、月に2~3軒が限界だ。 実は柳さんの自宅も全壊していたが、「自分の家は見たくないし、あまり行っていない」と、家の中はあの日のまま…。今は週1回の休みで、給料は月に30万円ほど。「やなぎ企画」の作業員はみな能登出身で、住むところを失った被災者でもある。