「捜査を回避するためには選挙するしかない」 事件化前に自民幹部が進言した「幻の衆院解散」とは【裏金政治の舞台裏①】
ある自民幹部はこの時期、岸田首相に進言した。「いまなら勝てる。裏金問題を収めるためにも冒頭解散しかない」 岸田首相は再びためらった。経済対策の成立を優先させることにこだわった。周辺に「物価高で給料を上げないと解散なんて話じゃない」と語り、解散権は封印された。 物価高対策の目玉として打ち出した減税策も反発を浴び、各メディアの内閣支持率は就任後で最低に落ち込んだ。自民重鎮は「裏金疑惑が噴き出る前の11月がラストチャンスだった」と振り返る。 ▽安倍元首相だったら… 憲法7条は衆院解散を「内閣の助言と承認」を受けた天皇の国事行為と定める。実際は首相が判断するため「首相の専権事項」と呼ばれる。政権に有利なタイミングで恣意的に解散できるとして問題視する声もある。 1966年12月には、佐藤栄作首相が閣僚らの不祥事や疑惑が相次ぐ中、政治不信の払拭を目指し「黒い霧解散」に踏み切った。2017年9月には森友、加計学園問題を抱える安倍晋三首相が臨時国会で所信表明演説や代表質問を実施せずに冒頭で衆院を解散し、「疑惑隠しだ」と野党から批判を浴びた。佐藤、安倍両氏とも選挙で勝利し、長期政権につなげた。
岸田首相が「捜査逃れの解散案」を選ばなかったのは、力で押し切る「覇道の政治」でなく、謙抑的な「王道の政治」と評価できる。 では岸田首相はどう政権運営を描いていたのか。実は昨年末の段階で解散のタイミングについて「6月がポイントになる」と周囲に明言していた。裏金事件にけりをつけ、賃上げ経済を実現して今国会の会期末に信を問うシナリオだった。9月の自民党総裁選に弾みがつくとの計算もあった。 しかし、現実政治は厳しい。今、自民は地方選挙での敗北が続き、地方組織から岸田首相の退陣を求める声が膨らむ。重鎮はこう語る。「解散に必要なのは決断力だ。安倍氏だったら間違いなく昨年のうちに解散を選んでいた」