「先の見えない恐怖を味わった」──濃厚接触を避けられない訪問介護の現場から【#コロナとどう暮らす】
──いまは緊急事態宣言が解除され、「新しい生活様式」のもと、社会生活が再開されている段階です。それでも「高齢の親を介護しているので、感染リスクを考えると、ワクチンができるまでは子や孫に会うことも難しい。閉鎖的な生活になると思う」という声もあります。 私自身は、そこまで厳しくしなくてもいいのではないかという気持ちのほうが強いですね。 私はもともと、障害のある人たちが病院や施設から出て自分の意志に沿った「自立生活」ができるようにする当事者運動にコミットしてきました。1970年代から始まり、2000年代に介護保障の制度もできましたが、世間ではいまだに、重い病気や障害のある人たちは、病院や施設で暮らすほうが安心だと考える人が多いです。本人が自立生活を望んでも、家族など周囲が反対することも依然あります。施設によっては、冬の間はインフルエンザが流行るから外出禁止になるという話も聞いたことがあります。そのほうがリスクは少ないかもしれませんが、閉鎖的な生活を長く続けるのは、ものすごく大変なことです。 障害のある人にとって自立生活は、ヘルパーへの指示出し、生活のやりくりなど大変なことも多いですが、それでも外に出たい、人に会いたい、自分らしい自由な暮らしがしたいと願う人を、大勢見てきました。そして今回、コロナで自分自身が自由に出歩くことを制限される経験をして、自由への欲求は人間にとって基本的なものなんだということを、改めて実感しています。 もちろん、緊急事態宣言が出てものすごく緊張感があった時期は、仕方がなかったと思います。他県で入院している親のお見舞いにもいけないという話も聞きました。ですが、状況に合わせて、柔軟にするべきところはしていかないと。感染予防は大事ですが、バランスがおかしくならないようにしたいですよね。 ──そのバランスを一人一人が考えている段階かもしれませんね。 そうですね。この3カ月、みんなはじめての経験をしてきて、この状況をどう飲み込めばいいのかということを、一生懸命考えてきたと思うんですよ。いま思えばあそこまでやらなくてもよかったなということもあるかもしれないし、これこれは今後も続けていこうということもあるかもしれない。そうやって整理する作業をいろんな人が始めていると思います。 おそらく行政にしても研究者にしても、みなさんそれぞれの立場でそういった作業をされると思います。その中で、高齢者と暮らしている人の声とか、「新しい生活様式」から漏れがちな障害者の声とか、そういった小さな声が反映されていったらいいなと思います。 「新しい生活様式」を広く市民に呼びかける必要性はもちろんわかりますし、それによって重症化リスクのある人が守られることも理解しています。でもやっぱり、「市民のみなさん」「国民のみなさん」というときに、健常者が前提なんだなと思うことはあるんですよね。 1日に何回かは濃厚接触をせざるを得ない、そういう生活をしている人もいるんだということは、為政者や行政の人には頭の隅に置いておいてほしいし、できれば紙の隅っこにちゃんと書いておいてほしい。みんなが気を付けるからといって、気を付けていないように見える人、濃厚接触せざるを得ない人が生きづらくならないようにしてほしいなと思います。 ──こんな声もありました。「高齢者や基礎疾患を持つ人、予防が難しい障害者や要介護者が亡くなったら『仕方ない』という考えが広まることが怖い。誰か亡くなったら基礎疾患がなかったか探し、『自分は安心』のような人たちが」。 するどい意見ですね。報道されるような激しいバッシングまではいかなくても、コロナで亡くなる人たちは自分たちとは違うところにいて、そういうリスクの高いところに近づかなければ大丈夫みたいな感覚をふわっと持っていた人は、相当いたのだろうと思います。 ──「自分は安心」は怖さの裏返しというか、差別や偏見につながる気がします。 やっぱり多くの人は、感染者が出た地域やお店などを避けたいと思ってしまうものだと思うんですね。怖いと思うことは止められないけれど、ウイルスを避ける行動をとることと、不当に人を排除することとは、別もののはずです。そこに気づけるようなわかりやすい情報発信が必要だと感じます。誰でも、気を付けていても感染することはあるので、感染者を責める雰囲気はなくさなければと思います。 ──最近は、介護従事者に感謝と支援をという声も聞かれるようになりました。 「感謝」は、私自身は違和感があります。いろんな考え方があると思いますが、障害のある人がことさらに「大変な人」にされている気がするからです。それより、経済的なサポートはあるといいなと思います。実際に、平時よりも気を付けるべきことは増えていますし、マスクなどの防御具を個人で負担している人もいます。そういったことへの手当ても含めて、誰もとりのこさない社会を維持するために欠かせない仕事としてしっかりと支えてほしいと思います。