DDTサウナカミーナが語る、一番過酷だったプロレス試合「雪の積もる山の中で」「死にかけた」
エンタテインメントのすべてが詰まったプロレス団体「DDT」に所属するイケメンレスラー4人による人気ユニットThe 37KAMIINA(サウナカミーナ)。現在、フォトブック『交差する熱波』(徳間書店)も好評発売中だ。サウナとプロレスを愛する男たちは、なぜDDTに集ったのか。そしてDDTでしか経験できない、前代未聞で過酷な試合形式とは…? 永遠の放課後感覚を共有する4人に話を聞いた(前後編の後編)。>>前編は下の関連記事からご覧ください。 【写真】The37KAMIINAフォトブックより珠玉のカット【5点】 ▽メンバー紹介 勝俣瞬馬 The37KAMIINAの長男格にして、ハードコアやデスマッチもこなす、ユニット随一のやんちゃ坊主。 MAO 飄々としたスタイルながら、内にアツいものを秘めた変幻自在な自由人。 上野勇希 高校の同級生に竹下幸之介(KONOSUKE TAKESHITA)がいたことでプロレスに触れ、DDT最高峰のKO-D無差別級チャンピオンにまで登り詰めたイケメンエース。 To-y 若手ながらThe37KAMIINAに加入。独特のキャラクターでイジられキャラを担っているが、覚醒して強さとたくましさを身につけてきた注目株。 ──さまざまな突拍子もないことがリング上で展開するDDTですが、そんな団体に入ろうと思ったのはどういうキッカケでしたか? MAO 僕はずっとプロレスラーになりたかったんですけど、DDTに入りたいと思った決定的な試合は、髙木三四郎VSザ・グレート・サスケのウェポンランブル戦ですね。 ──2009年にDDTがはじめて両国国技館に進出したときに行われた試合ですね。「ウェポンランブル」とは、1分ごとに公認凶器が入場するという試合形式で、自転車、熱々おでん、和桶など、さまざまなアイテムが飛び交いました。 MAO 最終的に、髙木さんとサスケさんの、それぞれの奥さんが公認凶器として登場したんですよ。その光景を観た時に、今までのプロレス観が全部ひっくり返った。あのときの、髙木さんの奥さんのムーンサルトは綺麗だったな…。 上野 僕は、初めて観たプロレスがDDTなので、もうすべての始まりというか、プロレス=DDTとしか思ってなかったですね。他の団体とかは、その後に知っていったので、プロレスラーになるならDDT以外なかったです。 勝俣 僕は理由が色々あるんですけど、直接的なきっかけは、僕のお父さんが「DDTはテストなしで、履歴書送った人全員が練習生になれるという企画をやってるぞ」って教えてくれて、じゃあそれ送ってみるわ、という流れですね。当時はKAIENTAI DOJOという団体が好きで、そこに所属していた大石真翔選手やヤス・ウラノ選手がDDTに出ていたので、知ってはいたんです。だから僕がDDTが本当に好きになったのは、入団してからかもしれないですね。 To-y 僕はDRAGONGATEのCIMA選手が好きだったんですけど、#STRONGHEARTSというユニットで他の団体にも出ていたのを追っていたら、DDTも観るようになったんですよ。 勝俣 To-yはストハーが好きで、中国までひとりで行って、OWEを観てるんだよな。 ──OWEというのは、CIMA選手が選手兼コーチで参画していた、中国のプロレス団体ですよね。 To-y 上海で観ました。プロレスだけじゃなくて、なんかお面をめくる隠し芸みたいなショーもやってました。 MAO 中国に独り旅行に行ったという話は聞いたことあったけど、プロレス観るのが目的だったんだ。行動力あるな。 To-y それでちっちゃい頃はDRAGONGATEに入りたいなと思ってたんですけど、おっきくなった時は、もうDRAGONGATEはあんまり見てなくて。それでプロレスをやりたいなって思った時にDDTにしようと思って。