「ママは夜、泣いてるんだって」小学校受験で第一志望に落ちた家庭の癒えない傷…意外なところから射す希望の光
平穏な日常に潜んでいる、ちょっとだけ「怖い話」。 そっと耳を傾けてみましょう……。
第70話 第一志望という呪い【後編】
――綾乃さん、中学受験、考えてるよね? 来週、中学受験塾の入塾説明会があるよ。一緒にいかない? 優也を寝かせて、ソファでぼんやりとお茶を飲んでいると、メッセージが入った。小学校受験のお教室仲間、絵美さんからだった。絵美さんのお嬢さんも第一志望にご縁がなく、遠い私立小学校に通っていた。 とくに彼女と中学受験について話したことはない。それなのに優也が中学受験をすると考えているのは……うちが「お話にならない学校」に通っているからなんだ、きっと。傍目にも、あれだけやってその小学校じゃ満足しないよねって思われてる。 ――中学受験て、4年生くらいから塾に行けばいいんだと思ってた。それだと遅いのかな? 正直、まだ切り替えられなくて。 同じように熱望校を不合格になったという連帯感が、ほんの少し本音をもらさせた。 ――そりゃ普通はそのくらいからだろうけど……私たち、次こそは子どもを絶対に合格させないとならないから。募集を締め切っちゃう校舎もあるっていうし、早く動くにこしたこと、ないと思うよ。 そうだよね。もうあとはないんだもんね。大勝負に負けたんだから、私たち。 私は「一緒に参加させてください」と送信する。急いで「中学受験 〇〇大学附属中学校 偏差値」と検索。一覧表が出てきて、とんでもなく高いところに位置していた。 こんなところにもう一度挑戦するの? しかも4科目、ものすごく勉強しなきゃならない……今度こそ、絶対に合格しなくちゃならないのに。 見上げた時計は22時を指している。今夜も夫は遅い。受験が終わってから、ますます残業や飲み会が増えたように感じていた。
浮かぶ疑問
結局、大手塾に通うのは2年生からにすることにした。それで間に合う、と思えたからじゃない。その前にやらなきゃならないことがたくさんあるとわかったから。計算や漢字の反復、思考力系の問題、難解な理科や社会の下地になる実体験や興味の構築。 小学校受験のために身につけた知識はもちろん無駄にはなっていない。そのことがわかってホッとしたけれど、計算力など直接中学受験に役立つ学力はまったく足りない。 理科の実験教室と、算数計算の教室、スイミング、書道を新しく始めて、受験のためにお休みしていたピアノと英語は再開した。しっかり準備して、中学受験塾は最初から一番上のクラスで始められるようにしなくちゃ。 ――優也の小学校で、中学受験する子っているのかな? せっかく入った私立だし、高校までエスカレーターでいけるから、きっとほとんどいないよね……。 バザー準備で楽しそうにしていたお母さんたちを思い浮かべて、後ろめたい気持ちが湧いた。たった数時間一緒にいただけなのに、なんだか寂しいような、裏切ったような気持ち。 皆さん、いいひとだったな……。私のテンションがあまり高くないことにきっと気づいただろうに、踏み込み過ぎずにいてくれた。 きっと優しくて、いいお母さんたちなんだ。おおらかなあの小学校の校風をいいなと思って集まったひとたち。きっと私みたいに他人の評価を気にしすぎることも、そのせいで自分の子どもの受験の結果を受け入れられずに苦しむようなこともないんだろう。 ――私はこのまま、6年間も暗い気持ちで過ごすの? せっかく受験が終わって、優也が元気でいてくれて、小学生になれたのに? そのことを単純に悔しいと感じた。外は初夏の風が吹き始めている。私は何と戦って、こんなに傷ついているんだろう。直視してこなかった痛みの原因を、静かに考え始めていた。