ブラジル日系社会『百年の水流』再改定版 (79) 外山脩
バイア州のアルツール・ネイヴァとセアラー州のシャビエル・オリベイラの二議員も、似た様な修正案を提出していた。 その中には、 「移民の受け入れを白人のみに限定する」 「有色人種の受入れを禁止する」 という字句があった。 理由書も、 「日本はアマゾンを第二の満州たらしめんと画策しつつあり」 「アジア人は人間の屑」 と敵意剥き出しであった。 第二の満州…云々は二、三年前、地球の反対側で起きていた満州事変、満州国建国を指していた。 もう一人、モンテイロ・バーロスというサンパウロ州選出の議員は、修正案で、 「同一人種の外国移民の集中居住禁止」 を主張、理由書で日本移民の非同化性を上げていた。 彼らの修正案が、すべて日本移民を標的としていることは明瞭であった。黒人は殆ど入っていず、アジア人はその大部分が日本人だったからである。 集中居住地を盛んに造っていたのも日本人だった。欧州系のそれもあったが、数は少なかった。 何故、こんな露骨な排日修正案が、突如、四人もの議員から出てきたのか、日系社会は理解に苦しんだ。 余りにも不自然だったのである。 日本とブラジルの関係は良好で、一般市民の邦人に対する感情も悪くなかった。排日論は、以前から存在していたが、常に少数意見で、大勢を動かすには至っていなかった。 排日論小史 ここで、この国に於ける排日論の歴史を、簡単に振り返っておく。 それは一九一七年に故人となった社会学者アルベルト・トーレスに始まる。社会学者としてはブラジルを代表する人物であった。 彼はその論の中で、ブラジルの産業開発に外国移民が必要な事は認め、日本移民の優秀性も称揚していた。が、次の様な点も指摘していた。 「出稼ぎ移民は、産業開発に貢献するが、国家を強力にする国民を形成する上で益するところはない。ブラジルは、これまで出稼ぎ移民が多過ぎた。真の移民が必要である。出稼ぎは歓迎できない」 「同一人種が一カ所に集中し、その地域を外国の言語や風俗・習慣が支配するようになると、その本国政府の干渉が起きる危惧がある。 依って同一人種の集団移民は不可である。特に、外国政府が一種の政治的監督をなす植民地の存在を否定する」 「日本人やインド人、その他異常に繁殖力の旺盛な人種を、無制限に入国せしめることは、考えねばならない」 日本移民は、結果的には永住することになるが、当時は出稼ぎのつもりでいたのは事実であった。 また、日本人だけ集って住み、日本語を使用して暮らしていた。しかし、これは三章で記した様な特殊な事情によるものであった。その結果として、風俗・習慣も余り変わらなかったのである。 別段、非日系社会との融合を避けていたのではなかった。同化は徐々に進んでいた。ただ、欧州系の移民と比較すると緩慢ではあった。 アルベルト・トーレスが右の説を唱えた時は、まだ笠戸丸から十年を経ていず、入国した日本移民の数は一万数千人でしかない。それでも、こういう学者が現れたのは、同化の遅延が容貌の違いもあって、目立ったためである。 それと、当時、世界的に流行していた「ナショナリズム」が強く影響していた。 この政治思想については、改めて別章で取り上げるが、当時、ブラジルへも流入していた。(日本に於いても同様であった) 学者の中には、それを自己の学説に取り入れようとする者が現れていた。 アルベルト・トーレスは、その後間もなく没した。が、その論は少数の人間に継承された。 継承者の一人に、フィデリス・レイスというミナス州選出の下院議員がいた。これが一九二三年、外国移民受入れに関し、欧州人奨励、黒人禁止、黄色人制限を内容とする法案を議会に提出した。 この内、黒人禁止は米国政府の「在米黒人二〇万人のアマゾン移住計画」に反発したものである。 黄色人つまりアジア人に関しては、レイスは法案提出の際、日本移民を批判する演説を行っている。明らかに標的としていたのだ。 レイス法案には、議会の内外で賛否両論が群がり出、決着がつかぬまま、数年が経過した。その間(前章で僅かに触れたが)日本側は、時の田付七太大使が法案成立阻止のため、内政干渉の印象を与えぬよう巧妙に、政界ほか各界の指導層に根回しをした。